震災後、東北に初上陸
もともとは大阪人ですから、
東北とはまったく縁がありませんでした。
北海道へは雑誌の取材で何度か行くことがありましたが、
東北は皆無。
そんな私の記念すべき初上陸は、2011年6月。
「一度は被災地を見ておかなければ。ライターだもの」という不遜な理由で、
震災から3カ月が経った仙台に向かいました。
本当は、どうせ行くならもっと奥深い
東北っぽい東北がいいと思ったのですが、
当時は震災の影響で交通網が途絶え、
自分で車を運転しないと仙台より北に入ることができませんでした。
ネットでいろいろ調べてみると、
仙台へは東京から高速バスで行くことができ、
駅から徒歩圏内の場所に、
1泊300円(寝袋持参ですが朝夕の食事つき)で
全国からのボランティアを受け入れてくれるという
キリスト教会を見つけました。
ネットで誰でも申し込みが可能、
信者でなくてもOKという間口の広い受け入れ。
私は初回、たしか2泊3日で申し込んだと思います。
1泊だと短すぎるし、
2泊以上は嫌になるかも、と思いました。
ミッション、見つけたり
結論から言えば、私はそれから毎月欠かさず、
この教会を拠点として、宮城県へ通うこととなりました。
1回の滞在は短くて4~5日、長くて3週間。
あの頃、リーマンショックから東日本大震災と続いて
日本全体の景気が悪く、
東京にいても仕事がなかった。
だから思うぞんぶん滞在できたというのもありますが、
ひとことで言えば珍しかったんでしょう。
東北の人たちはなりたてほやほやの「被災者」、
こちらもボランティアなど初めての経験、
被災地の光景からは、
ただそこに佇むだけで圧倒的な真理が迫ってき、
見るもの聞くものすべてが、
一瞬だけ姿を見せた世界の本質のように感じました。
フリーランスは会社員に比べると断然、時間があり、
いわゆる出来高制なのでお金も効率よく稼げる。
独身で健康体、体力も人一倍あった私です。
常々、恵まれていると思う反面、
なぜ自分だけ、いつも自分を持て余しているのだろうと
考えることがありました。
家庭持ちなら家事や育児、
そうでなくても会社務めや親の介護などで
みんな忙しく暮らしているというのに、
なぜ自分だけ…。
しかしついに、その理由を発見したような気がしました。
私は自分が見て感じたことをしっかり、広く伝えていくために、
技術や時間や体力といった必要なものすべてを与えられたのだということ。
つまり、それが人生のミッション。
好むか好まざるかに関わらず、
多くの条件がお前にしか行けないと言っている、
そんな道のようなものを
私はここ東北で、見つけちゃった気がしました。
(続きます)
塩坂佳子(しおさか・よしこ)
1970 年生まれ、大阪府高槻市出身。関西学院大学文学部卒業後はアルバイトなどを経験し、25歳でフリーランスのライター兼編集者として開業。2000年に大阪を出て、友人が住む小笠原諸島父島へ。釣り船の手伝いなどをして島暮らしを満喫、その様子を雑誌に連載するなどして2年間の長期滞在を楽しんだ。その後、板橋区へ移住し、東京でのライター・編集業を本格始動。主な仕事は結婚情報誌「ゼクシィ」や「婦人公論」などで執筆。出版社との契約で中国上海市に1年間駐在、現地編集部の立ち上げと雑誌創刊などにも関わった。
東日本大震災後は、震災ボランティアとして宮城県を中心に訪問。2013年には、上海在住のイラストレーター・ワタナベマキコと共に、東北の名産品をユニークなキャラクターにした東北応援プロジェクト「東北☆家族」を立ち上げ。東京に住まいながら活動を続け、2015年秋に宮城県石巻市へ移住。2年間は主に石巻市産業復興支援員として、復興や地方再生を促す街の情報発信を担当した。2017年9月には自分の会社を設立。現在は、自宅兼オフィスとして購入した築50年の庭付き中古一軒家をDIYでリノベーションしながら、愛猫・ふーちゃんと共に新生活をスタートさせたばかり。
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