㉙もうひとつの石巻~大川小へ行こう

石巻は本当に、

不思議な街だという気がします。

自宅で民泊を始めてわかったことですが、

今、この街を訪れる多くの観光客が、

実は被災地としての石巻ではなく、

世界的に有名になった離島、

「田代島」(通称:猫島)が目当てであり、

経由地となる街にはほとんど、

興味がないということ。

一方では今でも熱心に、

「被災地」としての石巻に

関わろうとする人たちもいて、

この両者は

まったく交わることがないということ。

どちらが善いか悪いかではありません。

ただ、

同じ街でも視点が違えば、

見るもの、感じるもの、

受け取るものがまったく違う。

逆に言えば

これほどの二面性を持つ街は、

全国でも珍しいのではないかと、

我が街を自慢に思う

今日このごろであります。

田代島で猫まみれになったり、

港町・石巻が誇る

新鮮な魚介や地酒に舌鼓を打つのが

エキサイティングな旅の醍醐味だとしたら、

もうひとつの顔、

重めの旅における最たる訪問先は、

「石巻市立大川小学校跡」だと思います。

 

ここは東日本大震災の大津波で、

児童74名、教師10名の

計84名が亡くなった場所。


犠牲者の数に圧倒される

というだけではなく、

あの日、ここで起きたことを知り、

ほぼ当時のまま遺された現場に立ち、

思いを巡らせるというのは、

旅先での「体験」を超え、

人によっては

後の人生をも変える

ターニングポイントになるかもしれません。

 

震災当日、

大川小学校の校庭で何があったのか、

その後、

県や市という巨大な「組織」と

遺族たちの間で何が起こっているか。

詳細については、

多くの書籍やWebの記事が存在しますので、

そちらに任せたいと思います。

が、とにかく、

「石巻市立大川小学校」は、

多くの命が失われたというだけではない、

学校管理下で起きた事件・事故として、

『戦後最悪』と言われる現場であることを

知っておいた方がいいでしょう。

そして、

これほど重大な結果を招いた原因、

その本質を見極めようとすればするほど、

私は自分の中にもハッキリと存在する、

「保身」や「臆病風」、

長いものには巻かれたほうがラクだという

「穏便な生き方」、

そうしたものに目が留まり、

胸が苦しくなります。

「組織」ではうまくやれないと、

長く

フリーランスを貫いてきた私でさえ、

社会で生きていくにはやはり、

若干の「忖度」や「保身」、

正しいと思ってはいても、

言わない方がいいこともあるのだという考えを

歳をとるごとに

身に着けてしまったように思います。

しかしながら最後の最後、

本当に優先すべきは何なのか。

大川小で起きた惨事は、

常にそのことを訴えてきます。

 

あの日の校庭で、

「先生」という大人を信じ、

何も知らずに奪われてしまった

幼い子どもたちの命。

その重みを受け止め、

自らも責任を感じて

大川小の惨事を繰り返してほしくないと、

訴え続ける親たちの姿。

それを見るにつけ、

日本人は今こそ、

本当に変わらなければいけない。

福島第一原発事故も含め、

あれだけの犠牲を払ってもなお、

命よりも経済を優先しようとする、

それはなぜなのかと、

本気で考えるようになりました。

良い意味でも悪い意味でも、

石巻という街は、

日々、そのようなことを考えさせてくれます。

本当に本当に不思議な街、

選ばれた土地なのだと

思わずにはいられません。

だからこそ、

ひとりでも多くの人に、

この街を訪れてもらいたい。

その窓口になることが、

移住者である私の使命かもしれません。

大川小学校跡へはJR石巻駅から車で40分程度。レンタカーやタクシーがお勧めです。遺族が中心となって結成した「大川伝承の会」では、現在も希望者に案内を行っています。※通常は建物内は立ち入り禁止(写真は遺族の案内で特別に入らせていただいたもの)

 

※大川小で起きたことの詳細はこちらからダウンロードできます

 

『民泊よあけの猫舎』の詳細はこちら

筆者:塩坂佳子(しおさか・よしこ)
大阪府高槻市出身。関西学院大学文学部卒業後はアルバイトなどを経験し、25歳でフリーランスのライター兼編集者として開業。2000年に大阪を出て、友人が住む小笠原諸島父島へ。釣り船の手伝いなどをして島暮らしを満喫、その様子を雑誌に連載するなどして2年間の長期滞在を楽しんだ。その後、板橋区へ移住し、東京でのライター・編集業を本格始動。主な仕事は結婚情報誌「ゼクシィ」や「婦人公論」などで執筆。出版社との契約で中国上海市に1年間駐在、現地編集部の立ち上げと雑誌創刊などにも関わった。東日本大震災後は、震災ボランティアとして宮城県を中心に訪問。2013年には、上海在住のイラストレーター・ワタナベマキコと共に、東北の名産品をユニークなキャラクターにした東北応援プロジェクト「東北☆家族」を立ち上げ。東京に住まいながら活動を続け、2015年秋に宮城県石巻市へ移住。2年間は主に石巻市産業復興支援員として、復興や地方再生を促す街の情報発信を担当した。2017年9月には『合同会社よあけのてがみ』を設立。現在は、自宅兼オフィスとして購入した築50年の庭付き中古一軒家をDIYでリノベーションしながら、2匹の愛猫・ふーちゃんとクロちゃんと共に暮らしている。2019年4月からは自宅を利用して民泊『よあけの猫舎』もスタートさせた。

 

 

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