②決断と葛藤と

東日本大震災が起きるまでは、福島県との県境に近い宮城県丸森町の里山で、家を手作りし、自給自足に近い生活を送っていた5人家族。原発事故の一報を受け、夫の母国、イギリスへ渡ることを決断。着の身着のまま日本を脱出したあの時から今日までを妻であり母である、チエミが振り返ります

決断と葛藤と

 “瞬間の決断”とは、

できるだけ正確な情報と自分の経験を組み合わせ、

その結果はじき出されたものなのだと思います。

きっと、それが無意識下で行われると、

“直感”とよぶのかもしれません。

ただ、面倒なことに、“決断”を下し、

勢いよくスタートダッシュをきった後に、

また違った情報が流れてきたり、

“本当はこうした方がよいのは分かってるけど、でもやっぱり……”という葛藤が

沸き上がってくることがあります。

しかし、そんな心の葛藤をも忘れさせてくれたのは、

夫、ギャビンさんでした。

ギャビンさんは、一旦私たちと一緒にイギリスに到着して2週間後、

家が津波で全壊し、避難所生活を送っていた

私の両親の手助けをするために一人で日本に戻りました。

平日は仙台でこれまでやっていた大学での講師を続け、

週末にはテント持参で石巻に通うという生活を約1年間続けました。

2011年5月下旬、

イギリス時間の早朝(日本時間の午後2時頃)に電話が鳴りました。

ギャビンさんからです。

「今、東電本社の中にいる」と普通の口調で話し始めました。

早朝の電話はどんな時でも心臓がドキドキしますが、

ギャビンさんがそう話し始めた時、

私はとても穏やかな気持ちになりました。

ギャビンさんが東電の本社に行くこと自体にはなんの驚きもなく、

“やっぱりね”と思いまいました。

あの時期、東電本社前では座り込みやデモで

常に人だかりができていたという報道がされていたので、

警備も厳重だったはずですが、

外国人のギャビンさんが堂々と東電の正面玄関から、

「お疲れ様です」(日本語で)といいながら入るのを、

誰も止めなかったそうです。

ギャビンさんは、面会のあてがあった訳ではなく、

とりあえず各フロアをウロウロした後、

待つのに具合がいいソファーを見つけ腰を掛け、

そこからイギリスにいる私に電話をかけてきたのでした。

周りにはおそらく100名ほどの東電社員が

普通に業務を行っていたといいます。

ギャビンさんは、その応接スペースの大きな机いっぱいに、

私たちが住んでいた集落の運動会の写真や

ツリーハウスで遊ぶ笑顔いっぱいの子供たちの写真数十枚を並べ、

ずっとそこに座っていました。

そしてそのまま約1時間が経過した頃に、

一人の社員が不思議に思い、

話しかけてきて見つかってしまった、というわけです。

そこから、数名の東電上層部社員とギャビンさんは4時間余りも、

その写真たちを目の前にして会話をしました。

そのすべてが録音されて今でも残っています。

(つづく)

宮城県の里山で家をイチから手作りしたイギリス人の夫、ギャビンさん

土壁を塗るオールライト家の子どもたち。現在は長女16歳、長男15歳、次男12歳に成長

  【オールライト千栄美】:1972年石巻市生まれ。イギリス人の夫と長女(16歳)、長男(15歳)、次男(12歳)の5人家族。再生可能な環境開発を専門とする夫と共に、“都会とは全く違う環境で行う、ビジネスマン向けリトリート施設の建設”という構想を抱き、2008年、宮城県と福島県の境にある小さな山里に移住。その構想の第一歩として、“西洋と東洋の伝統に自然を融合させた新しい技術”をコンセプトにした家づくりを2011年3月11日午後2時45分(つまり、東日本大震災勃発の瞬間)まで家族で行う。その後、夫の母国イギリスへ。現在は、オンラインで日本に英語レッスンをお届けする【英語職人】を生業とする。https://chiemiallwright.wixsite.com/online-eikaiwa

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