②『俺っち』が帰ってきた!

東日本大震災で被災し、避難所で3ヶ月、仮設住宅で3年間暮らしたお寺の和尚が、奇跡の一本松や巨大なベルトコンベアで全国に知られることとなった故郷、岩手県陸前高田市のことを書いていきます。フレンチブルドッグのハナさんは震災でかつての愛犬を亡くした和尚のために、妻と娘たちが連れてきてくれた新しい相棒です
俺っちが帰ってきた!
津波で何もかもがさらわれた沿岸部に、
土を盛ってかさ上げした商業地。
そこにできた個人の店、第1号
『公友館 俺っ家(こうゆうかん おれっち)』を紹介いたします。
震災前は私も月に2、3度のペースで通っていた、
陸前高田市でも人気の居酒屋でした。
震災で店は全壊し、岩手県の県都・盛岡で6年間、
「陸前高田 俺っ家」という店名で営業。
そして今年6月、ついに地元である陸前高田に戻ってき、
「公友館 俺っ家」を再開したのです。

待ちに待ったオープンの日。お祝いの花輪が並びました

「公友館」というのは、
地元にあった沿岸で唯一、常設の映画館の名前でしたが、
経営が成り立たず閉店しました。
俺っ家のマスターが映画好き
(店内には映画のポスターがあちこちに貼られている)なので、
名前の使用許可をもらって店名に冠した。
料理の内容は盛岡の時と少し違っていますが、
陸前高田での人気は相変わらずで、予約は必須!

震災後にイチから始めて人気店になった盛岡を離れ、予定通り地元に帰ってきてくれた居酒屋。みんながこの時を待ち焦がれていた

開店30周年になり、マスターとの付き合いも30年になる計算。
この間、海、山、川のアウトドア、
インドアでの飲み会や旅など、一緒に過ごして来ました。
2人共に作家の椎名誠ファンで、
映画フィルムを借りての上映会、
ご本人にも二度、高田に来てもらい、
講演会と飲み会など楽しいひと時を共にした仲間です。
そんな店が地元にオープンし、
仲間や常連たちはもちろん、
震災前は「俺っ家」を知らなかった
新規のお客さんたちもおおいに喜んでいます。

30年の付き合いになるマスター。これからもよろしく!

菅原瑞秋(すがわら・みずあき)
1958年生まれ。岩手県陸前高田市にある浄土寺の住職。以前は併設の幼稚園で園長も務めていたが、東日本大震災で寺は大規模半壊、園舎は跡形もなく流され現在休園中。奇跡的に家族の中には犠牲者が無かったが、愛犬一匹を失い、自身も避難所で3カ月、仮設住宅で3年間の生活を余儀なくされた。最大規模の被災地にある寺の住職として、犠牲者の魂や遺族たちの心を支え続けている。現在は妻と震災後にやってきたフレンチブルドッグのハナちゃんと生活。3人の子どもたちは成人し、それぞれ東京などで暮らしている。

2 件のコメント

  • みずあきちゃん、金繁のあきらです。石巻の大学時代の友人の紹介でこのサイトにたどりつきました。この間、高田の市長さんと話す機会があったりして、懐かしいです。震災前には毎年お墓参りに帰っていましたが、震災後は昨夏初めてかえって、こちらの居酒屋さんで20人くらい集まって飲みました。トオルのことフミオから聞きました。みずあきちゃんが看取ってくれたとのこと、ありがとうございました。

    • 久しぶり、元気にしてたか?
      兄貴はどうしてる?
      高田もすっかり変わってしまった。
      亨は病院で偶然あって、生前の姿みたのが俺で、看取った訳じゃないけど、早すぎたな。
      清隆も東京で元気にしてます。

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