⑫突然の英国暮らし~2つ目の大きな山

東日本大震災が起きるまでは、福島県との県境に近い宮城県丸森町の里山で、家を手作りし、自給自足に近い生活を送っていた5人家族。原発事故の一報を受け、夫の母国、イギリスへ渡ることを決断。着の身着のまま日本を脱出したあの時から今日までを妻であり母である、チエミが振り返ります

突然の英国暮らし~2つ目の大きな山

英国に辿り着いて6カ月目、

やっとの思いで、

私の3年間の滞在ビザ取得という

大きな山を超えました。

子供たちも地元の学校に通い 始め、

ぎこちないながらも生活自体には慣れてきて、

あとしばらくはなだらかな平地を

歩ける気がしてほっとしました。

 

震災から1年が過ぎ、

石巻で避難所生活をしていた私の両親は、

少しずつ落ち着きを取り 戻してきた一方で、

放射能被害については不安要素ばかりが膨らみ 、

元の暮らしに戻っても大丈夫、と

判断できる材料は見当たりませ んでした。

そうして、2012年が明けて間もなく、

単身で日本に 滞在し、

私の両親を見守っていてくれたギャビンさんも

日本を引き上げて、

英国の私たちと合流することにしました。

 

さて、

ここでまた登り切らなければならない山が

やってくるのは明らかで した。

『自分たちで家を借りる』ということです。

それまでは私と子供たち3人で、

ギャビンさんの実家に居候させ てもらっていましたが、

息子家族と長く同居するなんて

この国では ありえません。

ギャビンさんの両親も私たちも、

そろそろ実家を出て家を借りるのは、

暗黙の了解になっていました。

これはまた大きな大きな山でした。

夫婦どちらも無職です。

しかも 、日本に自分たちで建てた

あんな大きな家があるのに……。

さらには、

東京都心よりも相場が高いイギリス南部で、

家族5人が住む家を借るなんてできるのだろうか……。

現実的にはどう考えても無理そうなことですが、

前回の経験で、

『山登りのコツ』は少しつか みました。

ふもとから頂上をずっと見つめていてはいけません。

『 え~あんなところまで登らないといけないの~』 と

ため息しか出てこなくなります。

まずは5合目までを

一気に駆け登る方がよいと思いました。

まずは片っ端から不動産屋さんをまわり、

物件の条件を伝え顧客登録をして回りました。

しかし、深刻な家不足真っ只中の英国、

賃貸物件自体が極端に少ないのです。

貯金の代わりに家を所有するのが 一般的なので、

若い独身者でも家を購入します。

賃貸は今住んでいる家を売って、

次の家を買うまでの中継ぎの役目がほとんどなので、

短期間が中心で、何年も借りられる家自体が

ほとんど存在しない状態なのです。

賃貸雑誌をペラペラめくりながら

『どれがいいかな~』と

夢を膨らませるイメージとは程遠く、

選んでいる余裕はありません。

 

『どこでもいいのでこの金額で空きが出たら、

内覧せずにそこに決めるので連絡ください』

という宣言を約7軒の不動産屋にして回りました が、

数週間経ってもどこからも連絡はありません。

賃貸物件情報を扱うウェブサイトも

一日何回見たか分かりません。

『あった!』と思って

すぐに不動産屋さんに電話をしても、

掲載から3時間で決まってしまう、なんて状態です。

自立が重んじられる国ですから、

子供は18歳になったら近くで 就職/進学しようが

家を出るのが一般的で、

自分が家庭を持ったら

実家で両親と同居することもありませんし、

離婚や夫婦別居も多く、

生活形態も本当に様々です。

一人の成人に付き1軒の家が必要といっても

過言でないかもしれません。

しかも、街の景観が重視されるので、

新築の家を気軽に建てることはできず、

建築基準もとても厳しいので、

とにかく家が増えません。

これでは家不足になるのも無理はありません。

一気に山を駆け上がり始めたものの、

すぐに息切れしてしまった感じで、

やはり無理なんじゃないかと思い始めていました。

そんなある日、

いつものように子供たちを学校に送った帰り道、

一軒の家の前で『賃貸物件』 という看板を

立てかけようとしている

不動産屋の男性を見つけまし た。

今まさに看板の杭を打ち込もうとしているところを、

『 ちょっと待った~』 と言わんばかりに

その男性に小走りで向かっていきました。

そして「ここを借りるので、

その看板は立てないでください」 と頼みました。

看板が立った瞬間、

また大勢との争奪戦になってしまいます。

その不動産屋さんの男性は、

看板は一旦立てないといけないけど、

9時にオフィスが開くので、

それと同時に電話してくれと言いました。

9時まであと4分。

得体のしれない緊迫感です。

 

そうして、9時ぴったりにコールしました。

この国では、 お硬い業種でも

定時に始業しないことが当たり前ですから、

9時ぴったりに誰かが電話に出るとは

最初から期待していませんでした 。

何度かしつこくコールして、

やっとつながり、

「もうその家を借りることに決めたので、

手続きしてください」と頼みましたが、

結局は法律で

内覧しなければ契約はできないことになっていると言われ、

翌日に内覧するアポを取りました。

その頃には『日本に家があるのに

なんでこんなことしなきゃいけ ないの』なんて

弱々しい気持ちはどこかに吹き飛び、

その日自分に訪れた絶妙なタイミングと、

その後の流れを何度も頭の中でよみがえらせ、

運との駆け引きを楽しんでいるかのような

爽快ささえ感じていました。

 

夫婦とも無職、

英国に来て1年あまりの私たちは、

なんとか不動産屋さんに色々な特殊条件を承諾してもらい、

無事、その家を6か月間賃貸することに成功しました。

そう、でも6カ月だけだったのです……。

(つづく)

英国の典型的な住宅。 長い通りには50軒以上の家が長屋のように繋がっています。 地震や台風がないのでレンガ作り』

【オールライト千栄美】:1972年石巻市生まれ。イギリス人の夫と長女(16歳)、長男(15歳)、次男(12歳)の5人家族。再生可能な環境開発を専門とする夫と共に、“都会とは全く違う環境で行う、ビジネスマン向けリトリート施設の建設”という構想を抱き、2008年、宮城県と福島県の境にある小さな山里に移住。その構想の第一歩として、“西洋と東洋の伝統に自然を融合させた新しい技術”をコンセプトにした家づくりを2011年3月11日午後2時45分(つまり、東日本大震災勃発の瞬間)まで家族で行う。その後、夫の母国イギリスへ。現在は、オンラインで日本に英語レッスンをお届けする【英語職人】を生業とする。https://chiemiallwright.wixsite.com/online-eikaiwa

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