突然の英国暮らし~居候編
私たちは原発事故直後、
着の身着のまま英国にやってきて、
夫のギ ャビンさんは、
すぐにひとりで日本に戻り、
宮城県石巻市で避難所生活を送 っていた私の両親の元で、
私と3人の子供たちは
英国南部のギャ ビンさんの両親の家で、
しばらくお世話になることになりました。
日本では、自分が生まれ育った家
(両親が住んでいる家)を『実家 』と呼びます。
そこが自分の『実の家』という感覚です。
でも英 語では、
『ペアレンツ ハウス=親の家』と呼びます。
自分が自立して育った家を出たら 、
そこは自分の家ではなく、
『親の家』と捉えるということです。
もちろん、
子供夫婦と親が同居するという習慣もなく、
18歳にな ったら近くで進学しようが職に就こうが、
「家を出る」ことが当 然とされています。
そんな習慣の国で、
ギャビンさんの両親はよく、
私たちを1年間も家に置いてくれたな~と、
とてもありがたく思います。
私と子供たちは、
「雑魚寝の国」からやって来たので、
家族一緒の部屋で
床に布団を敷いて寝る事には
全く抵抗はありませんでしたが、
英国は、
ひとり一部屋を持ち、
プライバシーを重んじる国です から、
ギャビンさんの両親は
急に息子の嫁と孫3人と暮らすこと になり、
さぞかし戸惑ったのではないかと思います。
食事も、家族であっても
好き嫌いが違うことが前提なので、
義父は自分の分だけ、
義母も自分の分だけの食事を用意し、
私も別に調理するという、
台所がいつも3回転というのも、
今思うとすごい状 態でした。
私は日本的な田舎の大家族で育ったので、
同じ屋根の下でそれぞれが
3食別々のものを食べるというのは、
慣れるまではとても不思議な感覚でした。
ましてや、大人になってからも、
「 実家に帰ったら、
おいしいものを食べさせてもらえる」
ということ が当たり前だった私は、
これまでいた環境が、
とてもぬるかったの かもしれないと感じました。
原発事故という非常事態だったとはいえ、
両親に滞在費をきちんと渡し、
両親もそれをちゃんと受け取るという
親子間の距離の取り方 も、
ちょっと日本の家族とは違うかもしれません。
一般的には、
大 学の学費も親が出すことはなく、
子供が自分でローンを組むというのも、
この国の家族関係ならうな ずけます。
その人の子供に成りすましてお金をだまし取る
「振り込め詐欺」の様なものは、
この国では起こりそうにありません。
こうして何とか1年が経過、
ギャビンさんも日本を引き上げ、
私た ちもギャビンさんの実家を出て、
英国で当面暮らせる家を
借りなけ ればならない時期がやってきました。
(つづく)
【オールライト千栄美】:1972年石巻市生まれ。イギリス人の夫と長女(16歳)、長男(15歳)、次男(12歳)の5人家族。再生可能な環境開発を専門とする夫と共に、“都会とは全く違う環境で行う、ビジネスマン向けリトリート施設の建設”という構想を抱き、2008年、宮城県と福島県の境にある小さな山里に移住。その構想の第一歩として、“西洋と東洋の伝統に自然を融合させた新しい技術”をコンセプトにした家づくりを2011年3月11日午後2時45分(つまり、東日本大震災勃発の瞬間)まで家族で行う。その後、夫の母国イギリスへ。現在は、オンラインで日本に英語レッスンをお届けする【英語職人】を生業とする。https://chiemiallwright.wixsite.com/online-eikaiwa
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