⑪突然の英国暮らし~ビザ獲得

東日本大震災が起きるまでは、福島県との県境に近い宮城県丸森町の里山で、家を手作りし、自給自足に近い生活を送っていた5人家族。原発事故の一報を受け、夫の母国、イギリスへ渡ることを決断。着の身着のまま日本を脱出したあの時から今日までを妻であり母である、チエミが振り返ります

突然の英国暮らし~ビザ獲得

英国滞在が数カ月を経過した時点で、

私には大きな課題が待ち構え ていました。

滞在ビザの取得です。

すべての日本人は、

6か月間は 特別なビザの取得なしで

英国に滞在することが可能です。

しかし、 6カ月以降は、

何らかの滞在許可を取得しなければなりません 。

家から45キロ離れた原発が爆発→とにかく家を出て避難

→長期戦 を覚悟で英国の夫の実家へ→ほっと一息……

といった流れに

やっと行き 着いたと思っていた矢先、

想定外のことが待っていました。

 

日本では、

書類と数千円の手数料だけで

ギャビンさんは婚姻ビザをもらいましたが、

英国は『移民締め出し政策』の真っただ中。

配偶者がイギリス国籍でも、

外国籍である私に自動的に婚姻ビザが

発行されるわけではなく、

決められた額以上の収入と定職、

住居( 持ち家)が確保されていることが

婚姻ビザ取得の条件になりま す。

もちろん、着の身着のまま英国入りした私たちは

ひとつも要件を満たしていません。

唯一私が主張できるのは、

『英国籍をもつ子供の母である』 ということ。

子供たちはイギリスにも出生届を出しているの

で、 英国民として認められます。

これまで移民に寛大だった為、

偽装結婚をして英国に住み、

生活保護をもらおうと試みる

外国人たちにしびれを切らし、

こういう国策 をとらざるをえないという

イギリスの苦悩も分かりますが、

それにしても、

イギリス国民であるギャビンさんが、

自分の法的配偶者と一緒に

自分の国に住むのに条件を与えられるというのは、

屈辱的な気さえします。

この規制にイギリス人の友人たちもひどく腹をたて、

いざとなったら署名活動をするとまで

言ってくれまし た。

数人の弁護士に相談し、

何とか嘆願書を提出。

しかし、移民局からは

容赦ない返事が返ってきます。

日本大使館で発行している

正式な婚姻届けでは証明にならないと言われ、

『本当に夫婦であるという証明をしろ』

というのです。

近所の人からの証言や

ギャビンさんとやりとりしたメール、

家族で映っている写真、

結婚記念日に交わしたカードなど、

とにかく、これでもかといろいろ提出しました。

また、親の家に息子家族が同居しているという、

この国では珍しい事情を移民局が怪しく思い、

家の間取や写真、

親が了解しているとい う

証拠提出も要求されました。

そうして待つこと数カ月。

結果的には通常の婚姻ビザを

もらううこと はできませんでしたが、

震災というやむを得ない理由で

英国に滞在しているということで、

人権保護下に置かれ、

まずは3年間の滞在が許可されました。

とりあえず、またひと山超えました。

山を登っている時は、

山頂がはるか遠くに感じますが、

下山はあっと言う間、

そしてふもとに到着して、

後ろを振り返ってみると、

『え!あんなに高い山を越えて 来たの?!』

と感じます。

まさに、あの時はそんな気持ちでした。

【オールライト千栄美】:1972年石巻市生まれ。イギリス人の夫と長女(16歳)、長男(15歳)、次男(12歳)の5人家族。再生可能な環境開発を専門とする夫と共に、“都会とは全く違う環境で行う、ビジネスマン向けリトリート施設の建設”という構想を抱き、2008年、宮城県と福島県の境にある小さな山里に移住。その構想の第一歩として、“西洋と東洋の伝統に自然を融合させた新しい技術”をコンセプトにした家づくりを2011年3月11日午後2時45分(つまり、東日本大震災勃発の瞬間)まで家族で行う。その後、夫の母国イギリスへ。現在は、オンラインで日本に英語レッスンをお届けする【英語職人】を生業とする。https://chiemiallwright.wixsite.com/online-eikaiwa

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