㉓失われゆく風景

大手新聞のベテラン記者が、世の中の出来事や自らの仕事、人生について語ります。私生活では高校生の長男と中学生の長女を持つ父。「よあけ前のねごと」と思って読んでみてください(筆者談)

失われゆく風景

三重県南部、

太平洋を望む大王埼灯台の周辺(志摩市大王波切町)は、

どこを切り取っても絵になる風景が広がり

「絵描きのまち」とも言われます。

地元の観光協会の方から教えられ、

是非とも見ておきたい、と

休日にクルマで片道2時間強かけて出かけました。

確かに素晴らしい。

しかし、この風景がそう遠くない将来に失われるのは、

間違いないと思います。

今の経済社会情勢というか価値観からすれば

当然の成り行きで、

考え方が大きく変わらない限り

とどめようがなさそうです。

 大王埼灯台へは、

小さな漁港から坂道を5分ほど歩きます。

港の脇にある駐車場でクルマを降りて行くと、

ウォーキングを楽しむ団体さんを見かけたほかは、

観光客はまばらでした。

入り組んだ路地やモルタルの壁は、

潮風にさらされて良い味を醸し出しています。

志摩名産の真珠と魚の干物を売る店が

軒を連ねていますが、ひたすら静かです。

BGMはなく、

店番のおばあちゃんの呼び込みの声も

眠気を誘うほど控えめです。

レトロな看板を背景に

うろちょろするネコを横目で見ながら、

灯台に着きました。

中に入って、階段を上がりきると

狭いテラスのような場所から太平洋が一望です。

眼下には切り立った崖があり、

岩に砕ける波の白さに混じりっけはありません。

風が強く、足がすくみました。

しばらく、ボーッと海を見て、

そして階段を下り、ぶらぶらと時折、

脇道に入りつつ駐車場に戻ると、

1時間ほどが過ぎていました。

このひなびた味わいを楽しめるのも

今のうちかもしれません。

灯台周辺は空き家が多く、

廃墟のように見えるのはかつての旅館、

食堂でしょうか。

春休み中でしたが、

子どもの声は聞こえません。

魅力的な土地なのだから、

てこ入れして観光地としてもっと売り出せばいい、

というのは安直でしょう。

この地域をよく知る観光業の方は嘆いていました。

「インバウンド(訪日観光客)は全国的に増えていますが、

ここでは高齢化が進んで、

ほとんどの人は借金をして

商売を大きくしようと考えるどころか、

手入れさえしないんです。

だから将来の展望が開けない。

将来がみえないから、

後を継ごうという若者もいない」。

なぜこうなったのかは、

考えるまでもありません。

不便な土地だからです。

きつい言い方ですが、

置き去りにされたのです。

美しい地方の衰退は、

今に始まったことでも

大王埼に限ったことでもありません。

地方の風景、というと思い出すことがあります。

私が駆け出しのころ、

赴任地の香川県で映画『男はつらいよ』のロケが行われ、

山田洋次監督が高松市で記者会見をしました。

山田監督は、美しい日本の風景を探しだし

映像に残すことでも有名です。

会見では、どこかの記者が

「瀬戸大橋」の印象を聞きました。

「あの造形美を映画に生かせるか」といった質問です。

山田監督は「邪魔ですね」とひと言。

世界に冠たる巨大吊り橋、

地元の誇りに対してこの言いよう、

さすが芸術家は違うな、と感心したものです。

今思うのは、

不便を排除し便利さを追求した結果が

凝縮されている姿に反発心を覚えたのではないかと。

便利さを追求した生活基盤を築くことで

失われるものは確実にあるはずです。

その一つに美しい風景と

暮らしがあるのではないでしょうか。

橋は「ストロー効果」を持つとされます。

橋の架かった両地点を比べると、

ひなびた方がから繁華な方へと人や経済活動が移り、

少ない活力さえほかの土地に吸い取られてしまう、

というのです。

便利な橋は不便な地域の衰退に拍車を掛けてしまう。

 

香川県にいたころ、

私は離島からのフェリーに乗って

レンタルビデオを返却にいく高校生をみかけて、

驚いたことがあります。

でも、当たり前ですよね。

島にないのなら、

船で外に出るしかない。

レンタルビデオは便利なもの(当時)ですが、

橋のない島に住む人にとっては

不便がひっついてきます。

とはいえ、彼は往復の船上から瀬戸内の多島美という、

この上ない景色を見ることができます。

若い時分に風景に感動することなどないと思いますが、

年を重ねればきっと理解できるはずです。

チョイと自転車でレンタルビデオ店に行く

都会の高校生では手に入れられない贅沢な時間を、

実は過ごしていたことを。

不便は、考えようによっては

贅沢に通じる部分があるのかもしれません。

不便にくっついてくる豊かさを実感できれば、

コンビニとかファミレスとか、

巨大なショッピングモールとかの方が

褪せて見えるかもしれない。

そんなことを言うのは、

不便を知らないからだと怒られそうですが…。

不便に負けて朽ちて行く風景に

美しさを見つけるというのは、

なんとも皮肉なものです。

ただ、もし大王埼に賑やかな暮らしがあれば、

また違った美しさと豊かさに

触れることができるのではないかとも思います。

灯台の近くにある食堂の看板。何とも言えないわびしさが

粂 博之(くめ・ひろゆき)

1968年生まれ、大阪府出身。関西学院大学経済学部卒。平成4年、産経新聞社に入社。高松支局を振り出しに神戸総局、東京経済部、大阪経済部デスクなどを経て2017年10月から単身赴任で三重県の津支局長に。妻と高校生の長男、中学生の長女がいる。

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