放射能と分からず屋
東北を紹介するある物産展でのこと。
「おいしいね、この桃。どこの?」
と問いかけ「福島です」と聞かされると、
その場でペッと桃を吐き出した人がいたそうです。
福島県南相馬市で被災者の悩みを聴く
「ベテランママの会」を立ち上げ、
放射能(放射性物質)に関する
正しい知識を広める活動にも取り組む
番場さち子さんが教えてくれました。
間違った知識は差別を生む、
放射能・放射線を必要以上に恐れることはない、
と訴える番場さんですが
「東電の回し者か」と
ののしられたこともあるそうです。
世の中、どうしてこうも分からず屋が多いのか。
番場さんは先日、
三重報道クラブ(報道各社が三重県に構えている
支局や支社の責任者の集まりです)と
三重県職員との懇談会で、
ゲストスピーカーとしてお話をされました。
テーマは人権です。
東京電力福島第1原発事故による放射能の飛散が、
人権侵害、子どもたちのいじめを招いていると指摘し、
解消の第一歩は
「正しい情報を正確に知ること」だ、と訴えます。
原発事故当時、
私は東京電力本店に詰めて取材していました。
原子炉はどうなっているのか、
事態は収拾できるのか、
国のエネルギー政策はどうなるのか、
東電の計画停電はいつまで…。
しかし、差し迫った問題は
それだけではありませんでした。
「あんたたち、どう思ってるんだ」。
記者会見でいささか異質な声が上がったことがありました。
かなりの怒りを帯びています。
着の身着のままで、
どこが安全か分からないまま家を出た人たちと
避難したという某大手紙の福島支局の記者でした。
枝野幸男官房長官(当時)はパニックを恐れて、
かなり抑えた表現で避難を促していましたが、
明らかに政府の情報発信は失敗していましたね。
東電も。
そのころの番場さん。
福島第1原発から23キロの場所で
学習塾を経営していました。
屋内避難指示が出された区域です。
政府は、警戒区域(20キロ圏内)の外側なので
「建物の中にいれば良い」という。
番場さんは、ライフラインが生きていて
情報が得られるしっかりした建物を探して、
病院を避難先に選びました。
その病院は運び込まれたけが人を治療していましたが、
医師は徐々によそへ避難。
で、番場さんも福島市の避難所へ向かいます。
ところが、いっぱいだったので伊達市へ。
そこで「南相馬から」と告げると
放射線測定によるスクリーニング(選別)を
受けないと入れないという
「特別待遇」を受けました。
番場さんが後にした南相馬ですが、
仕事の関係で留まらざるを得ない人もいる。
主に役所とか消防とかですね。
当然、その家族、子どもたちもです。
番場さんは、
そうした子どもたちのために
南相馬の学習塾を再開します。
そうすると、
「子どもを避難させないとは」と非難されました。
匿名の電話で、
周囲にいたスタッフが動揺するほどの
怒鳴り声だったそうです。
一方、塾で使っていたパソコンの調子が悪くなったので、
リース会社に相談すると
「30キロ圏内に社員を派遣することはできない」。
仕方がないので「パソコンはお返しします」と告げると
「放射能を浴びたパソコンなんていらない」と
電話を切られたそうです。
その会社からは後に
「リースの延滞料金」として
数十万円の請求書が送られてきたとか。
こうしたことと戦いながら、
番場さんは敵の大元を叩きにかかります。
相手は、恐怖を生む「無知」。
南相馬の医師、
坪倉正治さんと放射能に関する知識を
普及するための教室を各地で何回も開き、
その内容を20ページほどの冊子
「福島県南相馬発
坪倉正治先生のよくわかる放射線教室」にまとめました。
「南相馬で体内から(放射能を)
検出する人はほとんどいません」
「流通している食品を食べて
内部被曝が増えている人はいません」
「南相馬市の市街地の空間線量は
西日本と変わりありません」など。
もちろん警戒は必要で
「定期的に検査を」と呼びかけています。
ただ、一筋縄ではいきません。
「東電からカネをもらっているのか」という声が
聞こえてくるそうです。
そんなことはありませんが、
陰謀説が好きな人はいつでもいるものですね。
脱原発派の中には、
放射能の被害は深刻な方が
「戦略的に」有利だと考える人もまれにいて、
その批判は番場さんのような人にも
向けられているようです。
何ともばかげた話ですね。
しかし、番場さんたちの活動は2015年
「日本復興の光大賞」受賞、
16年「地域再生大賞優秀賞」受賞と
広く認められるようになりました。
番場さんの感覚では、
放射能に関する知識を示しても
2割の人が「不安」を感じ
一切を「拒絶」する態度を取り、
2割が学ぶことに「肯定的」で
結果的に「安心」し、
6割が「どっちつかず」。
番場さんは、
この6割を肯定の側に引きつけるため
「語り継いでいくしかない」と言います。
大変です。
しかし、6割の側にいる私たちの多くにとって
勉強し理解することは、
決して難しくないはずです。
「ベテランママの会」HPはhttp://veteran-mama.com/
粂 博之(くめ・ひろゆき)
1968年生まれ、大阪府出身。関西学院大学経済学部卒。平成4年、産経新聞社に入社。高松支局を振り出しに神戸総局、東京経済部、大阪経済部デスクなどを経て2017年10月から単身赴任で三重県の津支局長に。妻と高校生の長男、中学生の長女がいる。
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