⑥理不尽はスパイス

大手新聞のベテラン記者が、世の中の出来事や自らの仕事、人生について語ります。私生活では高校生の長男と中学生の長女を持つ父。「よあけ前のねごと」と思って読んでみてください(筆者談)

理不尽はスパイス

 「あした台風が来るんで休みます」。

伝説と化したある新人記者の申告です。

会社員としてぎりぎり「あり」なのでしょうか。

しかし新聞記者としては完全にNGです。

「台風」という世の中の一大事に背を向けるなどあり得ません。

しかし今、「働き方改革」の名のもとで、

「あり」の範囲がじりじりと広がり、

本来はNGの範囲に食い込もうとしています。

マスコミ業界に限ったことではないでしょう。

本当にそれで良いのでしょうか。

電通の若い女性社員が、

非人間的ともいえる猛烈な働き方の犠牲になりました。

(労働といえないような作業も多かったよう)

「これは社会のありようを変える出来事だ」と

各紙とも一斉に大きく取り上げ、

実際その通りに政府や企業も動きだしました。

生きるため、

あるいは生きている証とするための「働く」という行為が、

死と結びつくなど許されるはずはなく、

そんな理不尽が企業風土や文化として

大手を振っているのであれば、

根絶しなければなりません。

ただ懸念されるのは、

ちり一つ許さない

潔癖症的な大掃除になってしまうことです。

理不尽はない方が良いに決まっていますが、

うまくやり過ごしてつきあっていくことで、

知恵も生まれます。

子どものころ、

偉そうにしている大人がいかに理不尽か、

実感した人は多いでしょう。

でも、それに触れながら社会がどうやって動いているのか、

少しずつ学んでいきます。

私が駆け出し記者だったころ、

高校野球の地方予選を取材しました。

スタンドで応援する大人たちの中には、

ずいぶん大人げない人がいましたね。

グラウンドの球児たちに向かって汚いヤジを飛ばし、

微妙な判定をした審判を大声でののしるのです。

「それでも大人か。高校野球は教育の場でもあるのだぞ」と

批判するコラムを書いた若手記者も周囲にはいました。

しかし、ひねくれている私は少し考え方が違いました。

そんな大人を責めるより、

大人に我を忘れさせるほどの

プレーをみせた球児をもっと賞賛すべきだ、と。

私は高校野球の魅力を

理不尽経由で実感したのです。

「ゆとり世代」への反感や不信感も、

理不尽が介在しているように思えます。

詰め込み教育、

受験戦争への反省から始まったゆとり教育でしたが、

そうして育てられた人に抵抗力は

どの程度あるのかといぶかってしまう。

言葉遊びのようですが、

無駄な努力をすることも

長期的にみれば無駄ではないと思います。

働き方改革の時代に社会人教育を受けると、

どんな人になるのでしょうか。

そんな人たちが社会の中軸を担うようになると、

どうなるのか。

年寄りじみた考え方だとは思いますが、

少し不安を覚えます。

理不尽な輩に

砂をかむような悔しい思いをさせられたとき、

「正義」に出会うと「世の中、捨てたものではない」と

気分が晴れますね。

理不尽は少量であればスパイスのように働きます。

その味を知ってこその大人だと思います。

ある程度の理不尽は避けられない。

それをぐっと飲み込んで前へ進む人は、

のちに信頼を勝ち得ます。

一方で理不尽を口実にして権利に伴う義務を軽視したり、

回避したりする人は周囲に信頼されなくなり、

考えを改めないと居場所を失う。

それは、『半沢直樹』シリーズの人気と

通底するような気がします。

人を死に追いやるような

巨大な理不尽は決して許されません。

理不尽を押しつけられると気分が悪くなるけど、

自分が他人に押しつけて

窮地をしのぐこともままあります。

そうやって世の中回っている。

やっぱり、

記者は深夜でも台風の取材をやらなきゃいけないし、

球児を野次る大人に

目くじらを立てるのは青いと思います。

夜遅くまで明かりがともる筆者が住む三重県津の市役所。働き方改革はどこまで進むのか

粂 博之(くめ・ひろゆき)

1968年生まれ、大阪府出身。関西学院大学経済学部卒。平成4年、産経新聞社に入社。高松支局を振り出しに神戸総局、東京経済部、大阪経済部デスクなどを経て2017年10月から単身赴任で三重県の津支局長に。妻と高校生の長男、中学生の長女がいる。

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