⑱最後の卒園式

東日本大震災で被災し、避難所で3ヶ月、仮設住宅で3年間暮らしたお寺の和尚が、奇跡の一本松や巨大なベルトコンベアで全国に知られることとなった故郷、岩手県陸前高田市のことを書いていきます。フレンチブルドッグのハナさんは震災でかつての愛犬を亡くした和尚のために、妻と娘たちが連れてきてくれた新しい相棒です

最後の卒園式

統廃合などにより今年度が最後、

という卒業式のニュースが流れる。

校旗を返還、最後の校歌を

歌うなどのニュースを見るたび、涙が流れる。

震災遺構として残される

市立気仙中学校も統合される。

わが陸前高田市内で

高田東中学校、第一中学校、気仙中学校のうち、

第一中学校と気仙中学校が統合し、

市立高田第一中学校という名称で新年度を迎える。

校舎は現在の第一中学校を使うそう。

震災時もそれ以降も、

この第一中学校(一中)には大変お世話になり、

思い出もたくさんある。

私の母校でもあるが、避難所として3ヶ月、

校庭に建てられた仮設住宅に3年お世話になった。

そして一番の思い出は、私が園長をしていた

「高田幼稚園」の最後の卒園式だ。

震災前までは毎年、3月17日に

自分が住職を務める浄土寺の本堂で行なってきた。

正座をして約1時間、立ったり座ったりはあるが、

卒園児の集大成としての高田幼稚園の卒園式は

来賓、保護者からも立派であると褒められ、

自慢の卒園式であった。

私はこの卒園式と、

最後の卒業式という報道を

いつも重ね合わせてしまう。

2011年3月11日に被災後、

閉園するつもりで県の担当課に相談に行くと、

「閉園」ではなく「休園」とすることになり、

約ひと月遅れの4月10日に、

卒園式を敢行した。

物はすべてなくなってしまったので、

他の幼稚園からご協力いただき、

前述した第一中学校の教室をかりて、

卒園予定者だけでなく、

全員に修了証書を渡した。

担任が卒園児の一人一人を呼名し、

行方不明になっている子が呼名され、

証書の名前を読み母親に渡すとき、

涙が三倍もでた。

初めから終わりまで、

ずーと涙が、よく枯れずに流れ続けたもんだ。

震災当日は、午後から卒園式の準備ということで、

保育は午前中だけだった。

地震が起きた時間には、

子供たちは全員、家に戻っていた。

そのうち、6人の幼い命が奪われた。

当時のことを思い出して涙がでる。

卒園式にはテレビ局や新聞社などの取材が、

数社入ることを保護者にも教員にも知らせておいた。

被災地の状況を報道したいという事や、

私も被災地の現状を知ってほしいという思いがあり、

いくつか条件をつけて許可したが、

いろいろな約束が破られた。

この辺りから、

私は報道関係者に

不信感を抱くようになったのかもしれない。

 

私が園長を務めた「高田幼稚園」は

現在も休園中であるが、

運営は別の方に引き継ぎ、

再開園に向けて準備が進んでいる。

住職である私はお寺の再建が最優先、

幼稚園の再建まではどうしても手が回らず、

祖父、父、自分と3代に渡って

園長を務めた高田幼稚園の

半世紀にわたる歴史に幕を下ろすことになった。

高田幼稚園、最後の卒園式を報じた新聞記事

1958年生まれ。岩手県陸前高田市にある浄土寺の住職。以前は併設の幼稚園で園長も務めていたが、東日本大震災で寺は大規模半壊、園舎は跡形もなく流され現在休園中。奇跡的に家族の中には犠牲者が無かったが、愛犬一匹を失い、自身も避難所で3カ月、仮設住宅で3年間の生活を余儀なくされた。最大規模の被災地にある寺の住職として、犠牲者の魂や遺族たちの心を支え続けている。現在は妻と震災後にやってきたフレンチブルドッグのハナちゃんと生活。3人の子どもたちは成人し、それぞれ東京などで暮らしている。

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