我が街の「物」
撤去、遺構、移転。
震災後はどうしても撤去しなければ
次のステップに進めない物、
遺構として残し後世に震災を伝える物、
場所を移して再建する物など色々ある。
陸前高田市の震災遺構としては、
気仙川の河口で
海のすぐそばにある気仙中学校、
「奇跡の一本松」に近いユースホステル、
観光物産の中心だった「タピック45」、
海の近くのバイパス沿いにある
雇用促進住宅という4つの建物がある。
いずれも公費負担で残すのだが、
個人で残す物もひとつある事が、
先日の新聞にのっていた。
うちのお檀家さん所有の
米沢商会という3階の建物である。
両親と弟が犠牲となって、
現社長はこのビルの屋上に登り
一命を取りとめた。
屋上に津波到達の水位を示す看板を
設置したそうである。
この建物には近づけないので
写真はないが、
民間の震災遺構として
中心市街地があった場所を
示すものとなっていくだろう。
移転予定は数多くあるが、
これからの物で最大は高小学校がある。
![](http://yoakenotegami.com/wp-content/uploads/2018/01/27329788_1193388047472211_1241361349_o-600x450.jpg)
高台に移転し、跡地には
市役所が建つことになっている。
今現在、校庭は使えず、
徒歩で15~20分はかかりそうな場所に
グラウンドを造成中ではあるが
小学校の子どもたちが
移動するのは大変だろう。
通学バスでも使えればいいのだが。
小さな物では、
追悼施設や復興まちづくり情報館などがある。
![](http://yoakenotegami.com/wp-content/uploads/2018/01/27330518_1193388014138881_124818763_o-600x450.jpg)
撤去される物は
追悼施設の道路を挟んで
向かい側にある民間企業のガソリンスタンド
「オカモト」の看板である。
ダメージは受けているが
震災後もずっと残っていて
スタンドも早い時期に復活、
大勢の人たちが利用した。
私も常連である。
この看板の上部に
津波到達の水位が示してあり、
15.1Mとある。
スタンドはこの場所で営業できず
移転することになった。
この看板は移転先では制限があり、
使うことができず処分。
見上げるような高さまで
水がきていることが一目で分かり、
津波の恐ろしさを伝つつ
後世まで残して欲しい物だが、
残念である。
![](http://yoakenotegami.com/wp-content/uploads/2018/01/27268083_1193388020805547_102596088_o-1-1-600x458.jpg)
1958年生まれ。岩手県陸前高田市にある浄土寺の住職。以前は併設の幼稚園で園長も務めていたが、東日本大震災で寺は大規模半壊、園舎は跡形もなく流され現在休園中。奇跡的に家族の中には犠牲者が無かったが、愛犬一匹を失い、自身も避難所で3カ月、仮設住宅で3年間の生活を余儀なくされた。最大規模の被災地にある寺の住職として、犠牲者の魂や遺族たちの心を支え続けている。現在は妻と震災後にやってきたフレンチブルドッグのハナちゃんと生活。3人の子どもたちは成人し、それぞれ東京などで暮らしている。
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