㉑あとだしジャンケン

大手新聞のベテラン記者が、世の中の出来事や自らの仕事、人生について語ります。私生活では高校生の長男と中学生の長女を持つ父。「よあけ前のねごと」と思って読んでみてください(筆者談)

あとだしジャンケン

森友問題で

「官庁の中の官庁」と称される財務省が

大変なことになっています。

「国会で言っちゃったよ、違うの?

まったく、しょうがねえな。

まあいいや、書き換えればつじつまが合うだろ」

といったところでしょうか。

何だか軽くなってしまいましたが、

実はとても恐ろしいことだと思います。

頭に浮かんだのは全体主義国家を描いた

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』。

日本がその方向へ進んでいるとは思いませんが…。

 官庁が文書を残す目的は、

いろいろあろうかと思いますが、

そのときの判断や決定が正しかったかを

後々に検証するといったことも含まれています。

あとで断罪されるかもしれない、

という恐れは不法な行為、

都合の良い書き換えの歯止めにもなります。

 

私たち新聞記者は、

政策決定過程を把握するため関係者に話を聞くほか

「紙を取ってくる」取材をします。

内部文書をどうにかして入手するのです。

その結果、国はこっちへ進もうとしている、とか、

やっぱり政府はおかしいんじゃないか、

とかいった記事が「正確に」書けて、

世間に対し判断材料を提供することもできるわけです。

こうしたことはすべて、

文書が正しく書かれていることが大前提です。

検討に検討を重ね、

おかしな部分はないはず、

と信頼されています。

その前提と信頼を逆手に取ったのが

『1984年』の舞台となる国家でした。

国民は、「ビッグ・ブラザー」と称される独裁者に反し

国家の安定を脅かすような妙な思想を持っていないか、

互いに監視しています。

正しい思想の根拠となっているのは、

独裁者にとって都合の良い歴史。

状況が変わって矛盾が生じると、

事実をでっち上げて書き換えることによって

一貫性を維持するのです。

書き換え作業は膨大で、

そのための巨大な官僚組織もある、という設定。

出版されたのは、

第二次世界大戦が終結して間もない1949年です。

今となっては、北朝鮮が

この小説を彷彿させる国家の筆頭格でしょう。

ネットを監視し、

国家にとって都合の悪い情報を遮断する中国も。

私は、民主主義国家に住む者として、

こうした国の人たちを気の毒に思ってきました。

「本当のことを知らされないどころか、

嘘を浴びるように聞かされ信じ込まされ、

一生を終える」と。

そして自分には関係のないことだと。

ところが…、だったわけです。

 

国会の騒動をテレビで眺めながら、

私は自治体の2018年度当初予算の資料を繰っていました。

何か面白い事業があれば、

ちょっと取材して書いてみようというわけです。

そこで、ある項目に「一部新」とあるのを見つけました。

これまでの事業に

少し付け足しする何かが計画されている。

内容はいわゆる地場産業の活性化でした。

担当課に取材すると

「これとこれを連携させて…」と

曖昧なことしか言いません。

「連携させるのは、項目をみれば分かりますよ。

それを具体的にどう進めるのですか。

どんな枠組みでいつごろ始めるんですか」

と聞いてもはっきりしません。

何か隠しているのでしょうか。

だんだんイライラしてきて

「じゃあ、何をするのか煮詰まってもいないのに、

こんな額の予算を計上したのですか」

と問い詰めると、

その人は正直で「まあ、そうですね」。

内容をすこしフワッと曖昧にしておいて、

予算案が議会を通過してから

肉付けするのでしょう。

 

書き換えとか「不都合な事実」の削除ではありません。

しかし、しれっとした後出しじゃんけん的なところに、

森友学園関係の書き換え問題に

通ずるものがあるような気がします。

小説の世界(1984年)から

さらに30年以上も未来の世界にあって、

官僚の行動様式は、

いやな洗練のされ方をしているように感じます。

まったくもって不穏ですな。

粂 博之(くめ・ひろゆき)

1968年生まれ、大阪府出身。関西学院大学経済学部卒。平成4年、産経新聞社に入社。高松支局を振り出しに神戸総局、東京経済部、大阪経済部デスクなどを経て2017年10月から単身赴任で三重県の津支局長に。妻と高校生の長男、中学生の長女がいる。

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