一本、筋の通った奴はいねえか
今国会の論戦は、
控えめに言っても見苦しいですね。
森友学園問題で盛り上がっていますが、
これで何かが良くなるとは思えません。
政治家の軽さに加え、
官僚の往生際の悪さの方が目についてしまいます。
政府、官僚はなぜミスを認めず、
軌道修正さえ拒むのか。
頑なではありますが、
スジを通そうとしている、
と言えなくもありません。
確かにフラフラしていては行政は信頼されません。
問題は通したいスジが真っ当かどうか。
「脱官僚依存だってよ。おめえ、終わりだな」。
経済産業省を担当していたころ、
民主党政権が誕生。
当時の上司が政権のスローガンを見て、
私を皮肉りました。
官僚と政治家がキャッチボールを繰り返して
政策を練り上げていく自民党政権では、
政治家だけでなく官僚から情報を得ることは重要でしたし、
その線に沿って取材してきました。
私の上司も含めてです。
しかし、脱官僚依存となると
前提が変わってしまう。
ところが、あまり変わりませんでした。
面白いことに民主党政権を
面白く思わない官僚がたくさんいて、
公表前に新聞に漏れたら
内閣としてはちょっと困るであろうことも
教えてくれる人がいたのです。
(すみません。ちょっと具体例は控えます)
官僚は自民党政権での仕事のやり方を
心地よく感じていたのでしょう。
それに急にハンドルを切ると、
色々と不具合、不公平が出てくるのも事実です。
彼らは政策を立案するとき、
過去の経緯との整合性、
それに、はっきりとは言いませんが
自分たちに間違いはないという
「無謬(むびゅう)性」を保つことを非常に重要視します。
さらに言えば、
いずれ自民党政権に戻るので、
今まで継続してきたことを
絶つまでもないと考えていたようです。
実際、その通りになりました。
そうした官僚の習性は訴訟でくっきり表れますね。
どうみても国が悪いのに
認めようとしないことがよくあります。
被害に遭った人が年をとっていき
早く補償してあげないと
手遅れになるというようなケースであってもです。
しかし、ここで簡単に判断できない、
してはいけないのも官僚です。
賠償金を払うにしても、
その原資は国民から預かった税金であり、
正当な理由がなければ使ってはいけない。
人によっては
「そんな賠償金を支払うよりも、
こっちの政策を充実させた方が
より多くの人が幸せになる」と
言うかもしれませんし、
それが本当に正しいことだってあり得る。
賠償するにせよしないにせよ、
確かな理由と正統性を与えてくれるのは
裁判所しかないのです。
だから、決着するまで簡単に謝ってはいけない。
とはいえ訴訟では、
政府は往々にしてやたらと攻撃的です。
訴訟は何も相手をやり込めることだけが目的ではなく、
本当のところはどうなのか、を
双方が納得できる形で確定させることを
目指すケースもあるはずです。
それでも真面目な官僚は、
ひたすら勝訴を目指します。
負けると大切な税金を、
自分たちの組織が犯した
失敗の穴埋めに使うことになる。
失敗の責任は誰が負うのか、
やるからには勝たねば。
目の前の仕事を忠実にこなすのだ、
それが優秀な官僚だ、
といったところでしょうか。
こういうときに物事を大局的に見て、
上訴を断念したり、
裁判所の和解勧告を受け入れたりする
判断をできるのは政治家しかいません。
法的な問題だけでなく、
道義的にみて正しいのは何か、
何をどこまで犠牲にするべきか、を
見極めることが求められます。
間違えれば選挙でクビになる、
責任を取るというのが政治家の生き方です。
官僚にそのような振る舞いを求めるのは
筋違いということになるのでしょう。
おかしなことが起きていると思ったら、
声を上げ世論を形成して政治家を動かし、
官僚の頭越しに
物事を正していくしかありません。
しかし、官僚としては自分たちの暮らしの
後ろ盾となっている組織を守りたい、
強くしたいと思うのは当然です。
そのために組織に貢献すれば出世が望め、
何かあっても組織は自分を手厚く守ってくれるし、
退職後の再就職も面倒をみてくれる。
そこで彼らの武器となるのは、
豊富な情報、知識と組織力です。
これらを駆使すれば組織を守るために
政治家をうまくコントロールするのは
難しくないようです。
政治家の中には官僚出身も少なくない。
私は自民党本部の廊下である省庁の幹部が、
おそらくかつて後輩だった議員を
叱責している場面に遭遇したことがあります。
また、民主党議員(当時)が
電力会社を解体する「発送電分離」を唱えだした頃、
ある官僚から「資源エネルギー庁が吹き込んだんだ」と
聞かされたことがありました。
「しかし、エネ庁と東電は
天下りでがっつり癒着してるでしょう?
裏切りじゃないですか」と私が驚くと
「東電に転ばされた人は多いからねえ」とのことでした。
発送電分離はおおむね世論に認められ、
巨大な既得権益を持っていた電力業界を突き飛ばして、
実現へと向かっています。
もう何がどうなっているのやら。
スジを通すべきというのは
青臭い書生論でしかないのかもしれません。
粂 博之(くめ・ひろゆき)
1968年生まれ、大阪府出身。関西学院大学経済学部卒。平成4年、産経新聞社に入社。高松支局を振り出しに神戸総局、東京経済部、大阪経済部デスクなどを経て2017年10月から単身赴任で三重県の津支局長に。妻と高校生の長男、中学生の長女がいる。
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