「面白いことを創ろう」
東日本大震災が起きる前、原子力関連の取材に向かったときのことです。
青森県六ヶ所村で、
バスの窓から「押し花展」の手作りポスターが見えました。
その時思ったのは、非常に偉そうなのですが、
「手間をかけても人なんて大して来ないだろうに」。
周辺には、他にこれといった産業がなく、
活気らしきものが感じられません。
しかしなぜかその時、何かが心にひっかかり、
車窓に流れる景色を眺めながら
「押し花展を主催するのはどんな人?
元気な世話好きおばちゃん? 都会から移住してきた若者?」と
しばらく想像をめぐらせたのです。
新聞記者というのは、有名人、有力者、
事件やニュースの渦中の人に会う、
そうでない場合は「何か面白いことを仕掛けている」とか
「これから名前が売れるかもしれない」という人たちをつかまえて、
記事にするのが主な仕事です。
駆け出しのころは地方都市で「○○町で押し花展」のようなことも書きますが、
経験を積むと大阪や東京に活躍の舞台を移して、
より大きなニュースを書くようになります。
そうして取材も効率化していき、
題材に対しても「面白くない。これでは記事にならない」と
見切りをつけるのが早くなります。
私自身にもそういったところが大いにあり、
あの時見た六ヶ所村の手作りポスターは「面白くない」素材としか思えませんでした。
なのに、なぜ心に引っかかったのか。
自分の中の衰退する地方への憐れみのような感情が、
そうさせているのだろうと当時は片付けていました。
のちに私も、若手記者の指導をする立場になりました。
そこで最ももどかしいのは、
「面白がろうとしない」若手がいることでした。
彼らより経験を積んだ私から見ても、見切りをつけるのが早いのです。
「大きな仕事をしている」政府のお偉方が、
いろんな批判を外野のヤジのように扱って切り捨てるのと
通底するものがあります。
これではいけないでのはないか。
そう思っていた矢先でした。
「じっと観察すると面白い人が結構いるんですよ、ここには」。
つい最近、私が新しく赴任した三重県津市のオフィスに、
船会社の方が来られて熱く語りました。
「でも、このままではいけない。
何か面白い仕掛けをして街を盛り上げたい」。
船会社は鉄道やバスも手がけるグループに属していて、
その方は以前、廃線間際のローカル鉄道の再生も担当されたそうです。
これからのアイデアもいろいろと披露してくれました。
聞きながら不遜にも、「それはどうかな」と思ってしまった。
しかしすぐに「アカン!俺も、俺が嫌いな若手みたいになっている」と
思い直しました。
「面白いことを創ろう」というのは、人間の本能かもしれません。
そして、あらゆる土地であらゆることの起点になるものでしょう。
青森県六ヶ所村で見かけた手作りポスターが心に引っかかっていた訳を
自分にとって新天地となるこの「津」という小さな街で、
少しだけですが解明することができたように思います。
粂 博之(くめ・ひろゆき)
1968年生まれ、大阪府出身。関西学院大学経済学部卒。平成4年、産経新聞社に入社。高松支局を振り出しに神戸総局、東京経済部、大阪経済部デスクなどを経て2017年10月から単身赴任で三重県の津支局長に。妻と高校生の長男、中学生の長女がいる。
コメントを残す