孫ちゃんができた!
二男に子供が生まれた。
私にとっては初孫である。
6月15日午後10時59分、
男の子が生まれた。
出産前から男の子だと言われていたので
そうだろうと思ってはいたものの、
この世に出てこないと
安心できないものである。
お寺にとって男の子の誕生というのは、
誠に喜ばしいことだ。
孫が生まれ、
しかも男の子であるということは
私にとっては二重の喜びである。
息子は和歌山のお寺が実家の
3姉妹の末っ子、三女と一緒になった。
姉2人はお寺は継がないといったらしく
三女がお寺を守ることになったそうである。
出会いは京都にある浄土宗総本山知恩院。
ここでふたりは現在も、
職員として勤めていて
簡単に言うと職場結婚だ。
出会いの場所が我が宗の総本山であるのも
仏様のご縁であること、
宗祖法然上人のお導きであることは
疑いようのないことである。
和歌山のお寺でも
娘がお坊さんの資格を持った者と結ばれ、
男の子が生まれたことは
喜びの中の喜びであろう。
息子本人も彼女に会う前から、
関西圏のお寺に入りたいと希望していたので、
望みが叶ったという点でも喜んでいるし、
親としても心配する必要がなくなり
安堵したことを思い出す。
名前は男の子と聞いた時から
いろいろ考え「そうま」と決めていたらしい。
漢字がまだだけれど
「ま」の字は
息子が知恩院でお仕えしている
伊藤唯眞猊下から「眞」の一字を頂戴するが、
「そう」の字がまだ決まらないといっていた。
私たち夫婦は、
先日京都に行くことがあり、
和歌山のご実家まで足をのばして、
初孫とご対面。
お七夜の日であった。
息子も休みが取れたので京都で落ち合い、
法衣店に寄り必要な物を注文後、
老舗の菊乃井のカフェでお弁当を食べて、
一緒に車で和歌山に向かった。
お昼を食べながら
「颯眞」と決めたことを聞いた。
浄土宗へ届ける時は
「そうしん」と読み仮名をふる。
我が宗では名前は2文字と決まっているので、
お坊さん読みも考慮しながら
決めなければならないのである。
いよいよご対面。
残念ながらずーっと寝たままで、
時々目を開けてはまた閉じてを繰り返し
起きているときの様子を見ることができなかった。
抱っこしたがあまりにも小さくて
落としたらどうしようと心配もしたが、
とても可愛い男の子でした。
息子が外に出た時に、
あちらのお義母さんが
息子の様子を話してくれた。
立ち会い出産だったことは
車中で聞いていて
まさか息子がと夫婦で驚いていた。
陣痛が起きたと連絡が来て、
京都から車で2時間半かけて病院に向かい、
陣痛室にずーと付き添っていたこと(約11時間)、
陣痛の痛みに奥さんが耐えていると
言葉をかけ励ましたこと、
生まれた時には感動で
ボロボロ涙を流したことなどなど、
昔の息子では考えられないようなことを聞いた。
仕事でどうしても、
途中で京都に戻らないといけなかったらしいが、
お義母さんが少し休んだらと言っても
ずっと付き添って夜中2時に帰っていったと。
京都と和歌山で
なかなか会うこともできないだろうけど
お寺の後継者となれるように育てて欲しい。
私たちも孫の起きている様子、
泣いている姿など見たいけど
遠すぎる〜。
父親の故郷である陸前高田にも来て欲しいが
いつになることか?
曾祖母さんが元気なうちに
その機会があればいいのだが。
まだ数年は息子夫婦ふたりとも
知恩院に勤めるので、
京都で親子3人の生活が始まる。
菅原瑞祥(すがわら・みずあき)1958年生まれ。岩手県陸前高田市にある浄土寺の住職。以前は併設の幼稚園で園長も務めていたが、東日本大震災で寺は大規模半壊、園舎は跡形もなく流され現在休園中。奇跡的に家族の中には犠牲者が無かったが、愛犬一匹を失い、自身も避難所で3カ月、仮設住宅で3年間の生活を余儀なくされた。最大規模の被災地にある寺の住職として、犠牲者の魂や遺族たちの心を支え続けている。現在は妻と震災後にやってきたフレンチブルドッグのハナちゃんと生活。3人の子どもたちは成人し、それぞれ東京などで暮らしている。
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