⑩突然の英国暮らし~居候編

東日本大震災が起きるまでは、福島県との県境に近い宮城県丸森町の里山で、家を手作りし、自給自足に近い生活を送っていた5人家族。原発事故の一報を受け、夫の母国、イギリスへ渡ることを決断。着の身着のまま日本を脱出したあの時から今日までを妻であり母である、チエミが振り返ります

突然の英国暮らし~居候編

私たちは原発事故直後、

着の身着のまま英国にやってきて、

夫のギ ャビンさんは、

すぐにひとりで日本に戻り、

宮城県石巻市で避難所生活を送 っていた私の両親の元で、

私と3人の子供たちは

英国南部のギャ ビンさんの両親の家で、

しばらくお世話になることになりました。

 

日本では、自分が生まれ育った家

(両親が住んでいる家)を『実家 』と呼びます。

そこが自分の『実の家』という感覚です。

でも英 語では、

『ペアレンツ ハウス=親の家』と呼びます。

自分が自立して育った家を出たら 、

そこは自分の家ではなく、

『親の家』と捉えるということです。

もちろん、

子供夫婦と親が同居するという習慣もなく、

18歳にな ったら近くで進学しようが職に就こうが、

「家を出る」ことが当 然とされています。

 

そんな習慣の国で、

ギャビンさんの両親はよく、

私たちを1年間も家に置いてくれたな~と、

とてもありがたく思います。

私と子供たちは、

「雑魚寝の国」からやって来たので、

家族一緒の部屋で

床に布団を敷いて寝る事には

全く抵抗はありませんでしたが、

英国は、

ひとり一部屋を持ち、

プライバシーを重んじる国です から、

ギャビンさんの両親は

急に息子の嫁と孫3人と暮らすこと になり、

さぞかし戸惑ったのではないかと思います。

食事も、家族であっても

好き嫌いが違うことが前提なので、

義父は自分の分だけ、

義母も自分の分だけの食事を用意し、

私も別に調理するという、

台所がいつも3回転というのも、

今思うとすごい状 態でした。

私は日本的な田舎の大家族で育ったので、

同じ屋根の下でそれぞれが

3食別々のものを食べるというのは、

慣れるまではとても不思議な感覚でした。

ましてや、大人になってからも、

「 実家に帰ったら、

おいしいものを食べさせてもらえる」

ということ が当たり前だった私は、

これまでいた環境が、

とてもぬるかったの かもしれないと感じました。

 

原発事故という非常事態だったとはいえ、

両親に滞在費をきちんと渡し、

両親もそれをちゃんと受け取るという

親子間の距離の取り方 も、

ちょっと日本の家族とは違うかもしれません。

一般的には、

大 学の学費も親が出すことはなく、

子供が自分でローンを組むというのも、

この国の家族関係ならうな ずけます。

その人の子供に成りすましてお金をだまし取る

「振り込め詐欺」の様なものは、

この国では起こりそうにありません。

 

こうして何とか1年が経過、

ギャビンさんも日本を引き上げ、

私た ちもギャビンさんの実家を出て、

英国で当面暮らせる家を

借りなけ ればならない時期がやってきました。

(つづく)

 

【オールライト千栄美】:1972年石巻市生まれ。イギリス人の夫と長女(16歳)、長男(15歳)、次男(12歳)の5人家族。再生可能な環境開発を専門とする夫と共に、“都会とは全く違う環境で行う、ビジネスマン向けリトリート施設の建設”という構想を抱き、2008年、宮城県と福島県の境にある小さな山里に移住。その構想の第一歩として、“西洋と東洋の伝統に自然を融合させた新しい技術”をコンセプトにした家づくりを2011年3月11日午後2時45分(つまり、東日本大震災勃発の瞬間)まで家族で行う。その後、夫の母国イギリスへ。現在は、オンラインで日本に英語レッスンをお届けする【英語職人】を生業とする。https://chiemiallwright.wixsite.com/online-eikaiwa

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