⑤メルトダウン

東日本大震災が起きるまでは、福島県との県境に近い宮城県丸森町の里山で、家を手作りし、自給自足に近い生活を送っていた5人家族。原発事故の一報を受け、夫の母国、イギリスへ渡ることを決断。着の身着のまま日本を脱出したあの時から今日までを妻であり母である、チエミが振り返ります

メルトダウン

『福島原発、ぶっとんだ』。。。。。

2011年3月12日、

子供たちに夕食を食べさせていたその時、

移住仲間の一人が

我が家にものすごい勢いで駆け込んできました。

それから家を出るまでは

おそらく5分も経っていなかったでしょう。

ただ必死に、子供たちを外気に触れさせないように毛布でくるみ、

車に乗せて山形方面へ向かいました。

何を持って出たかも覚えていませんが、

玄関に置いてあった大量の味噌と米の袋をつかみ、

『津波の被災地に届けられるかもしれない』、

と思ったことだけは覚えています。

 更に数日後、

関西方面に避難する間も、

『とにかく西へ逃げて』、

『絶対に雨にはあたらないで』と、

ひっきりなしに知人や友人からメールが届き、

常に心臓は最高心拍数を打っていましたが、

原子力に詳しい友人がたくさんいたので、

その情報にはとても助けられました。

一方で、ギャビンさんは、

東北の主要な病院に電話して、

原発事故対応のためのヨウ素を

置いているかどうかをたずね回っていました。

その当時、私は、

原発事故とヨウ素の関係など全く知りませんでした。

地震から3日目、避難先の山形で、

ギャビンさんは、

ホームセンターに行きホースを2本買ってきました。

水道につなぐ、普通の長いゴムホースです。

私は、それが何のためなのか

全く見当がつきませんでした。

ギャビンさんは

『明日になって石巻の両親の安否が分からなければ、

行ってみる』というのです。

もちろん津波の被害が大きかった

宮城県の沿岸部にスムーズに入れるわけがありません。

何よりそこまで行くガソリンの入手ができませんでした。

そのホースは、

途中で投げ捨てられた車から口でガソリンを吸い上げ、

抜き出すために使うためのものでした。

しっかりと現実を判断し、

対処する行動を冷静にとるギャビンさんは、

あれだけの非常時でも落ち着きを感じさせてくれました。

一方、全く地に足がつかない状態で、

気持ちだけが空回っている

自分の無力さを感じずにはいられませんでした。

 私の傍らには、

事の重大さを知らず、

晩ご飯の途中で言われるまま家から連れ出され、

それでもニコニコしている3人の子供たち。

『とにかく今私にできるのは、

不安でないふりをするくらいだ』と思いました。

 

しかし、長女(当時9歳)がポツリと、

『宿題があるんだけどランドセルを置いてきちゃった』と

心配そうにつぶやきました。

続いて長男(当時8歳)が、

『日曜日、ラグビーの練習だけどユニフォーム持っていない』

と言いました。

ここで、私が必死に取り繕っていた

『大丈夫な振り』をする心の柱が解け落ちました。

もう、言葉に置き換える範疇をはるかに超えた感情が、

涙としてあふれ出すだけでした。

どこまでも無垢で従順な子供たちに、

『明日は、今日よりも悪いことが起きるかもしれない』

なんて疑う余地はこれっぽっちもないのです。

 こんな私の心のメルトダウンが起きていた頃、

福島第一原発でもしっかりと、

炉心溶解というメルトダウンが

起きていたということが分かったのは、

だいぶ後になってからでした。

(つづく)

【オールライト千栄美】:1972年石巻市生まれ。イギリス人の夫と長女(16歳)、長男(15歳)、次男(12歳)の5人家族。再生可能な環境開発を専門とする夫と共に、“都会とは全く違う環境で行う、ビジネスマン向けリトリート施設の建設”という構想を抱き、2008年、宮城県と福島県の境にある小さな山里に移住。その構想の第一歩として、“西洋と東洋の伝統に自然を融合させた新しい技術”をコンセプトにした家づくりを2011年3月11日午後2時45分(つまり、東日本大震災勃発の瞬間)まで家族で行う。その後、夫の母国イギリスへ。現在は、オンラインで日本に英語レッスンをお届けする【英語職人】を生業とする。https://chiemiallwright.wixsite.com/online-eikaiwa

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA