㉖石巻で暮らす意味

東京でフリーライターをしていたアラフィフシングル女子。東日本大震災を機に東北へ通い始め、2015年にはついに宮城県石巻市へ移住。現在は庭付き中古一軒家を購入し、会社も設立。愛猫のふーちゃんと共に大海原へ漕ぎだした、そんなドキドキハラハラな毎日を記していきます 
 

新しい年があけました。

私が石巻に移住したのは

2015年秋のことですから、

早くも今年、

4年目を迎えることになります。

早い。

早いわぁ…。

 

告白しますが、

特にこの地で思いがけず

中古一軒家をゲットしてからというもの、

私は大好きな猫たちとの

自堕落なラブラブ生活を満喫、

そのうえ食べ物は旨くて安いし…と、

石巻での生活を

エンジョイしておりました。

もちろん、

スローライフに憧れての

地方移住であれば、

これで成功であります。

しかしながら、

私はそうじゃなかったはず。

いい加減、そろそろ

シャキッとしなければ!

と思いつつ、

どうシャキッとすればよいのか

分からなくなっていました。

 

なんで石巻に来たんだったっけ?

今の暮らしは気に入っているけれど、

これならもっと暖かい

南の方でもよかったのでは?などと、

すっかり初心を思い出せずにいた昨今、

約一年ぶりと思われる

東京からの仕事で、

図らずも原点に

立ち返ることができました。

毎年3月11日が近づくと、

メディアが一斉に振り返る

東日本大震災。

私も『婦人公論』という雑誌で、

被災地のルポを書かせてもらうのは、

今回で3度目になります。

昨年は初めて、

大川小学校事故について書きました。

 

知らない人のために説明しますと、

石巻の北部に位置する

大川小学校(現在は震災遺構)では、

東日本大震災で、

生徒74名、教員10名が犠牲になりました。

もちろん被災地で

子どもの命が失われたのは、

ここだけではありません。

しかし、

学校にいる間に災害が起き、

本来なら教職員の指導により

安全が確保されるはずの

「学校管理下」で、

これだけ多くの犠牲を出した例は他になく、

世界でも稀なケースと言われています。

あの日、

大川小学校でも大地震発生後すぐ、

教員たちの指導により、

子どもたちは全員、

校庭に避難しました。

しかし、そこからなぜか

約50分間も動かずに、

結局、大津波にのまれてしまった。

とっさに高台に逃れ、

生き残ったのはわずか5人です。

「なぜ、50分も校庭に居続けたのか」

「なぜ、すぐ裏山に逃げなかったのか」

我が子の死を「仕方なかった」と

無理にでも納得したい親たちは、

時間をかけ、

学校に説明を求めましたが、

理解できる回答どころか、

ごまかしと虚偽の

不誠実な対応を繰り返すのみ。

「このままでは学校の過失が

なかったことにされてしまう」と

時効ギリギリで

遺族の一部が立ち上がり、

教育現場の大元である

市と県を相手に訴訟を起こした。

これが

前回の記事で紹介した、

「大川小学校事故」の概要です。

今回の記事ではその後、

遺族勝訴とした

仙台高裁の「画期的な」判決の意義から、

教育現場の在り方について

紐解いてみたいと思っています。

そのために昨年末、

前回とはまた別のご遺族に

取材をさせていただきました。

彼らは大川小に預けていた

長男だけでなく、

弟が帰ってきたらすぐに避難しようと、

自宅で待機していたらしい

中高生の長女と次女、

その祖父母という、

家族5人を一度に亡くされたご夫婦です。

ご自分たちはそれぞれの勤めに出ていて、

無事でした。

 

笑顔で対応してくださるも、

3人のお子さん全員を亡くされたという

現実はあまりに重く、

言葉の端々やふとした表情に、

彼らの内側を占拠する

漆黒の闇のような哀しみを

見る思いがしました。

あのとき学校が、

正しい判断をしてくれていたら、

日ごろからその準備を怠らずにいてくれたら、

子どもたちは今も生きて

大きく成長していたのかもしれない。

同じ石巻でも

防災対策をしっかりしていた他校では、

多くの子どもたちが助かっています。

「なぜ、うちはあんな学校に

大切な子どもを預けてしまったの」

行き場のない親たちの苦しみは

刃のような後悔に代わり、

今もご自分たちを内側から切りつけています。

東北には、

こうした人たちがまだたくさんいる。

あまりにも大きなものを失って、

生きても地獄、死んでも地獄、

そんな絶望の中をさまよい、

8年間もただ呆然と生きてきた。

そんな人がたくさんいる場所に、

私は来たのでありました。

忘れていたわけではありませんが、

知れば知るほど、

自分に何かができるとは思えず、

私の脳はしばし、

フリーズしていたのかもしれません。

でも、ひとつだけハッキリしているのは、

今生きている人の人生も

いつか必ず終わるということ。

どんな苦しみも

永遠には続きません。

だったら命あるうちは

「だましだまし進む」というのも、

手ではないか、と

今、そんな風に

思うようになりました。

そしてその

「だましだまし」の部分になら、

他人でもお手伝いできることが

あるかもしれません。

「だましだまし」進む先に、

また本当の喜びに出会える可能性だって

ゼロではないのです。

そういう、

「だましだまし」進む際の杖に

なりたくて、

私は石巻に来たのかも。

小枝のように頼りない杖でも、

全く何もないよりは、

きっとある方がいいでしょう。

私にとっては愛猫たちが我が子のような存在。地震が起きるたびに愛しいものとの別れを予期し、恐怖よりも悲しみが先立ってしまいますが、一度は別れてもまたきっと、あちらで会えると思うことにしています

塩坂佳子(しおさか・よしこ)

大阪府高槻市出身。関西学院大学文学部卒業後はアルバイトなどを経験し、25歳でフリーランスのライター兼編集者として開業。2000年に大阪を出て、友人が住む小笠原諸島父島へ。釣り船の手伝いなどをして島暮らしを満喫、その様子を雑誌に連載するなどして2年間の長期滞在を楽しんだ。その後、板橋区へ移住し、東京でのライター・編集業を本格始動。主な仕事は結婚情報誌「ゼクシィ」や「婦人公論」などで執筆。出版社との契約で中国上海市に1年間駐在、現地編集部の立ち上げと雑誌創刊などにも関わった。

東日本大震災後は、震災ボランティアとして宮城県を中心に訪問。2013年には、上海在住のイラストレーター・ワタナベマキコと共に、東北の名産品をユニークなキャラクターにした東北応援プロジェクト「東北☆家族」を立ち上げ。東京に住まいながら活動を続け、2015年秋に宮城県石巻市へ移住。2年間は主に石巻市産業復興支援員として、復興や地方再生を促す街の情報発信を担当した。2017年9月には『合同会社よあけのてがみ』を設立。現在は、自宅兼オフィスとして購入した築50年の庭付き中古一軒家をDIYでリノベーションしながら、2匹の愛猫・ふーちゃんとクロちゃんと共に暮らしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2 件のコメント

  • 広島に在住しています.祖母,叔母が原爆にあっていて,原爆による街の消失と崩壊,被爆者の長く続く苦しみに被爆3世として心を寄せつつ「よその人にはわからない」という気持ちがあることを自覚していました.東日本大震災,原発事故もきっとその地域の方々は他者にはわからない苦しみを抱えておられると感じていました.東北は大好きな場所で,自分なりに旅行に行ったり東北のものを購入したり細々と応援しています.
    昨年7月,豪雨災害で長く暮らした実家が被災しました.丸4日,実家は濁流の向こうで近づけず,実家周辺,自分の長く育った町,隣町も,思い出が泥にまみれて流されてしまいました.渋滞がひどく実家までたどりつけたのは被災の翌々日でしたがあの時の風景を見た喪失感を今でも忘れません.その場に座り込んで泣いてしまって,震災で被災された方もこんな気持ちだったんだろうと改めて実感しました.周囲で行方不明の方の捜索が続いていたので流された方が出てくるのではないかと思いながら,スコップがなにかにあたるたびにみんなで慎重に掘り進める土砂かきを家族で続けた1週間でした.
    「経験しないとわからない」かもしれないけど,でも心を寄せてくださる人がいることがとてもうれしかった.災害に限らず,みんな苦しみや悲しみを抱えて生きてますよね.幸せそうに見えても,心には深い闇を抱えていることも.それでも人はいつかみんな死ぬし,死ぬまで生きなくちゃいけない.絶望するほどの苦しみも悲しみも永遠に続くことはないと実感しています.塩坂さんが心を寄せてくださり,発信してくださっていることに感謝します.

    • 大西様。コメントありがとうございます!遠く、広島にも読んでくださっている方がいると知り、大変うれしく思いました。また、昨年の豪雨災害でご実家が被災されたとのこと。心からお見舞い申し上げます。私にも広島在住や出身の友人がおり、このところ広島は災害続きで都度、心配しておりました。失ったものと同じものが取り返せないと思いますが、みなさんの心が少しでも穏やかで、平安な日常を取り戻されること祈ってます。石巻に来られることがありましたら、ぜひご連絡くださいませ”(-“”-)” 今後とも、よろしくお願いいたします。

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