⑮震災後の家族の慶び

東日本大震災で被災し、避難所で3ヶ月、仮設住宅で3年間暮らしたお寺の和尚が、奇跡の一本松や巨大なベルトコンベアで全国に知られることとなった故郷、岩手県陸前高田市のことを書いていきます。フレンチブルドッグのハナさんは震災でかつての愛犬を亡くした和尚のために、妻と娘たちが連れてきてくれた新しい相棒です

⑮震災後の家族の慶び

今回は全く個人的な家族の嬉しい話題。

私の家族は母、妻と子ども3人である。

2男1女の子どもたちは全員独立、

母は浄土寺近くの災害公営住宅に

1人で住んでいるので、

私は妻とワンコの華(ハナ)と暮らしている。

屋根裏にはハクビシンが

勝手に住んでいる模様だが、

未確認である。

 

娘は看護師になる夢を持って

それなりの大学に入学したが、

震災を目の当たりにして、

少し病んでしまい退学。

息子2人はお坊さんになって

長男は浄土宗の7つある大本山のひとつ、

鎌倉の光明寺で職員として働いている。

震災後に入籍したお嫁さんは

津波で両親と弟という

実家の家族全員を亡くしていた。

いずれふたりで

故郷の高田に戻ってくるので、

その前に鎌倉で結婚式を挙げる予定だ。

二男は震災時、

京都の大学に通っていた。

卒業後は大学の友人の

滋賀のお寺で1ヶ月お世話になり、

京都の知恩院に住み込みで

臨時の職員として勤め、

その後、東京のお寺で2年勤めた後、

また京都に戻り、

現在は知恩院の正職員となっている。

息子2人はそれぞれのお寺で、

内侍係という部署に居て、

長男は台下(各大本山の住職で7人いる)、

二男は猊下(総本山の住職でただ1人)の

身の回りのお世話をする、

お寺にとっては重要な仕事をしている。

宗内にとっても

重要な役目を担っていることは

父親として誇りに思う。

そして、この二男が

先日、入籍したのである。

震災後、知恩院にお世話になるときも

足袋一足、持たせてやることができず

申し訳なく思っていたので

気にかけて来た。

関西に住むつもりで、

どこかのお寺に入ることができればいいと

常々話していたが、

簡単なことではないことは

本人も私たちも分かっていた。

関西圏には知り合いもほとんどなく、

親として役に立つことはなかった。

然し、ご縁はすぐそばにあったのだ。

簡単にいうと職場結婚である。

仏縁をいただき、

彼は和歌山のお寺に

婿養子として入ることになった。

お相手は三人姉妹の末っ子だが、

姉2人は教員で

お寺とは直接関係ないお仕事だそうだ。

 

先日、

家族の顔合わせで京都に行ってきた。

簡単な結納後に食事を楽しんだ。

あまりの緊張だったのか、

誰も写真を撮らずに散会となり残念であった。

驚きを二つ。

一つ目は、

次男の名前は隆行というが、

先方の叔父さんにも「隆行」という方がいて

当日は進行をしてくれた。

全国でも少ない苗字らしいが、

息子が養子になれば、

同姓同名が誕生するということだ。

二つ目は、

その叔父さんが私と同じ歳で、

大学は京都と東京で違うが、

大学3年生の時に

知恩院での修行をした際に一緒で

同じ釜の飯を食べた同行の仲間であった。

これには本当に驚いた。

 

私は息子がしっかりやってくれるだろうと

心配なく手放しで喜んでいるが、

妻は男親が娘を嫁に出すときの気持ちなのか

心配と寂しさが感じられる。

そんな私たち夫婦も

6月にはじいじ、

ばあばになるそうで、

男の子らしいとのこと。

和歌山のお寺も私たちも

バンザーイ!である。

元気で生まれてくることを

楽しみに待っています。

1958年生まれ。岩手県陸前高田市にある浄土寺の住職。以前は併設の幼稚園で園長も務めていたが、東日本大震災で寺は大規模半壊、園舎は跡形もなく流され現在休園中。奇跡的に家族の中には犠牲者が無かったが、愛犬一匹を失い、自身も避難所で3カ月、仮設住宅で3年間の生活を余儀なくされた。最大規模の被災地にある寺の住職として、犠牲者の魂や遺族たちの心を支え続けている。現在は妻と震災後にやってきたフレンチブルドッグのハナちゃんと生活。3人の子どもたちは成人し、それぞれ東京などで暮らしている。

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