㉕高田で開催!浮き球三角ベースボール

東日本大震災で被災し、避難所で3ヶ月、仮設住宅で3年間暮らしたお寺の和尚が、奇跡の一本松や巨大なベルトコンベアで全国に知られることとなった故郷、岩手県陸前高田市のことを書いていきます。フレンチブルドッグのハナさんは震災でかつての愛犬を亡くした和尚のために、妻と娘たちが連れてきてくれた新しい相棒です

高田で開催!浮き玉三角ベースボール

「浮き球三角ベースボール」

聞いたことあるだろうか?

なんと全国大会まである

大人の真面目な遊びなのです。

北は北海道、南は九州まで

各地にチームがあり

首都圏や関西ではリーグ戦も行われ

全国大会の出場権をかけて

熾烈な戦いが行われている。

今年は43チームの登録で

「うースポ」なる新聞も発行され

各地の活動の様子がのっている。

チーム名には必ず〇〇団と

団が付かなければならない決まりがあり、

我々のチームは

「陸前高田なむあみ団」という名前で

私が監督(団長)である。

私が寺の住職で、

南無阿弥陀仏と念仏を唱える

教えであることに由来する。

ユニホームには卍が入り

試合前には念仏を唱え

相手を驚かせる。

ユニホームのチーム名と

卍のロゴのデザインは

この浮き球三角ベースの生みの親である

作家の「椎名誠」さんである。

各チームとも名前には特徴があり

地域名が入り

団の特徴が表れている。

有楽町ゴジカラ団、音羽デカバラ団、

船場トキ☆メキ団、

天王寺どろがめ団などなど。

我々は北日本リーグに所属していて、

千住あねもね団という女子だけのチーム、

岩手2チーム(盛岡、高田)と

秋田に1チームずつあり

交流している。

全国大会にも出たことがある。

これは砂浜などに流れ着いた

発泡スチロールの浮き球を使っての

三角ベースでの野球である。

南の島に浮き球拾いのツアーもある。

椎名誠達の怪しい探検隊が砂浜で

地元の漁師がその辺に転がっている

浮き球と流木を使って

遊んでいるのを見て始めたもので、

色々なルールを決めて

男女混合で行う野球だ。

現在では砂浜での開催は困難なので

河川敷や整備された

グラウンドなどで行なっている。

我々は2000年から参加。

正式発足が1999年なので

古いチームである。

砂浜とは関係ない

会津金山町が第一回目の大会で、

当時の町長さんも参加し

浮き球の聖地として

記念碑も建っている。

 

この浮き球三角ベースのお楽しみ大会を

今年も陸前高田で開催した。

2004年が第一回の開催で今年で7回目、

震災後としては4回目となり、

うち2回はかさ上げ地での開催だった。

震災前はここに7万本の松があった

高田松原の砂浜での開催で、

原点に戻ったような思いがした。

宴会は当然、

我らが居酒屋「俺っ家(おれっち)」であり、

浄土寺や高田幼稚園ホールでの

無料宿泊という魅力もあって

人気の大会となった。

昨年「俺っ家」が、

震災後に移転営業していた盛岡から

高田に戻ってきて2度目の開催。

グラウンドはかさ上げ地なので

広くは使えなかったが

全国各地から60人の仲間が来てくれた。

 

復興支援と銘打って行った2014年には、

全国大会規模の180人もの仲間が

この高田に集まってくれたことは

特に思い出深い。

その後も、毎年

ボランティアに来てくれる人、

なむあみ団のチームメイトを

個人的に支援してくれる人など、

一部の交流は続いている。

本当にいい仲間を

大好きな椎名誠さんが繋いでくれた

ありがたいご縁である。

今年の全国大会は新潟での開催で、

本大会には出ることができないので、

同時開催のお国自慢大会に参加する。

全国の仲間に会える

唯一の機会だ。

菅原瑞秋(すがわら・みずあき)、1958年生まれ。岩手県陸前高田市にある浄土寺の住職。以前は併設の幼稚園で園長も務めていたが、東日本大震災で寺は大規模半壊、園舎は跡形もなく流され現在休園中。奇跡的に家族の中には犠牲者が無かったが、愛犬一匹を失い、自身も避難所で3カ月、仮設住宅で3年間の生活を余儀なくされた。最大規模の被災地にある寺の住職として、犠牲者の魂や遺族たちの心を支え続けている。現在は妻と震災後にやってきたフレンチブルドッグのハナちゃんと生活。3人の子どもたちは成人し、それぞれ東京などで暮らしている。

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