㉟天皇制、その心は

天皇制、その心は

皇太子さまが7月31日から8月2日まで、

三重県を訪問されました。

全国高校総体(インターハイ)の

総合開会式に

臨席されるのが主な目的で、

高校や障害児のための

学校などもご視察。

私は何ら特別なことはなかった

イベントだと感じましたが、

お迎えした人たちは一様に

感激した様子でした。

皇室の何がこれほどまでに

人を引きつけるのか。

 皇室への取材は、

いろいろと制限があります。

分刻みのスケジュールを

滞りなくこなすとともに

万全を期した警備に影響を及ぼさないよう、

取材者の立ち位置も

動線も決まっています。

皇族が何をお話しになったのかは、

記者にはほとんど分かりませんし、

直接質問することもできません。

一連の行程が済んだ後、

お出迎えした人を

ワーッと取り囲んで

根掘り葉掘り聞くわけです。

 「皇太子さまと言葉を交わした

女子高校生は、大興奮でしたよ。

取材しても支離滅裂で

何を言っているのか分からないほど」。

今回の行啓を取材した記者によると、

そこにあったのは、

まさに熱狂だったようです。

 「高校生が大はしゃぎ」。

そんな時代なのですね。

私自身は、若い頃から天皇制には

疑問を持っていました。

というか否定的でした。

右派の人々がこき下ろす

戦後民主主義教育の影響でしょうか。

大学時代は左翼の教科書みたいな

『朝日ジャーナル』を

毎号買っていましたし、

「南京大虐殺」に関する

本多勝一の本も読みあさりました。

日本の空襲に参加した米兵は

機銃掃射で

子供を狙うこともためらわなかった、

という記事を読んだこともあります。

「天皇陛下万歳」と叫んで

命を投げ出す日本人を、

彼らは狂信者の集まりだと

教え込まれていたそうです。

子供も何をしでかすか分からない

少年テロリストのようなものと

考えていたとか。

だから、あらゆるものを踏みつぶす

恐ろしい全体主義のエンジンが

天皇制だったのだ、と

私は理解していました。

 でも、現実はもっと複雑です。

昭和天皇が戦時中、

どのような行動をしたのかを、

さまざまな報道や出版物で

知るようになって変わってきました。

修練で得た徳によって人々を導く、

政治に直接タッチせずに教え諭す、

というような古くからの

君主としてのあり方を

幼い頃から徹底的に教え込まれ、

それを実践しようとしたが、

制度や時の政治状況などで

うまくいかなかった、

そして苛立ち苦しんでいた-

解釈するようになりました。

暴走する軍部に

引っ張り回されたのがいけないのだ、

結果責任というものがあるはずだ、

との理屈は、

当時の状況からみて

無理筋というものではないかと思います。

トップに立つ人は常に孤独で、

戦時中から敗戦直後にかけての天皇は

その極北だったのだと思います。

戦後、戦争責任論がくすぶる中、

それでもなお、と

存続することになった天皇制を

引き受けた皇室。

むしろ正面切って

結果責任を問われた方が

楽だったかもしれない。

 しかし、

私の皇室に対する考えを大きく変えたのは、

文字ではなく映像の方でした。

阪神大震災の被災地で皇后さまが、

悲嘆に暮れる被災者を

抱きしめられたニュースを見たときは、

かなり驚きました。

あっ、行啓って

形式的なもので終わらすのと違うんや、

感情とか意志も入り込んでるんや、と。

天皇、皇后両陛下は

先の大戦の犠牲者を悼む

慰霊の旅にも出ておられました。

戦争に対する責任を

やはり感じておられるのではないでしょうか。

直接、口には出せないことですが。

仕事に人生のすべてを懸ける、

と大見得を切る人はいます。

しかし、

人生そのものが仕事だという人は

そうはいないでしょう。

皇族は人生を通じて

平和と安寧を祈るという

仕事を続けます。

心の内を整えることまで、

その一部のような仕事です。

その上に

「開かれた皇室」という政策もあって、

理想の家族像も示さなければいけない。

とはいえ、

家族の問題はいろいろあって、

しかもそれを

国民のほぼすべてが知っている。

そんなこんながあるのに、

三重県での皇太子さまは、

いつも通り穏やか。

よほど心の強い人間でなければ

無理だと思います。

こういう考えって

不敬なのですかね。

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