㉑失われた銘木たち

東日本大震災で被災し、避難所で3ヶ月、仮設住宅で3年間暮らしたお寺の和尚が、奇跡の一本松や巨大なベルトコンベアで全国に知られることとなった故郷、岩手県陸前高田市のことを書いていきます。フレンチブルドッグのハナさんは震災でかつての愛犬を亡くした和尚のために、妻と娘たちが連れてきてくれた新しい相棒です

失われた銘木たち

震災により、私が住む陸前高田市では、

松原にあった7万本の松を含む、

市内の銘木が大量に失われた。

海岸沿いの松原で、

一本だけ残った松は「奇跡の一本松」として

県内外、海外からも多くの人が

陸前高田を知るきっかけとなり

今も訪れてくれる。

一方、私が住職を務める浄土寺から見る海側には

木が一本もなくなり、

かさ上げ後、植栽された木があるのみ。

つまり震災後は、

浄土寺の境内の欅、枇杷、銀杏、松の木が

最前線に残った木となった。

特に残った松の木の一本は

樹齢300年以上のもので塩水をかぶり、

枝も折られ、一時枯れも見られたが

努力の甲斐あって現在は元気になっている。

本堂裏には樹齢不明であるが

二本の欅があり、枯れることもなく

震災後も毎年葉をつけてきたが、

一本は工事の妨げになるので伐採した。

また、震災よりも随分前のことだが、

浄土寺には100年を越える杉木立の参道があった。

台風で木が倒れたこともあり、

倒れる方向によっては

門前にある家々を直撃する状況となるため、

住職の私としては、

風が吹くたびに気が休まらなかった。

枝が折れ、屋根瓦を壊したこともあったので、

あるとき、危険を回避するため、

話し合って伐採することにした。

その後も本堂裏の杉が倒れたり、

震災後にも大風が吹いて、

残った松の木が折れたり根っこから倒されたりした。

幸い周りには家もなく被害はなかった。

なんども風で木が倒されてきたが

私の知る限りでは、家に対して被害は無かったが、

その昔は庫裏の屋根に、

穴を開けられたことがあったそうである。

本堂裏の杉の木が倒れたときも、

本堂に当たってもおかしくない状況、

門前の杉が倒れたときも、

家直撃でもおかしくない状況だったが、

ご本尊の阿弥陀様に守られたのだと確信している。

津波により流されてきた建物が

直接本堂に当たらなかったことも、

間違いなく阿弥陀様のご加護である。

浸水区域内の風倒木や残った数本の松も

墓地参道の杉や残した欅も伐採することにした。

欅を切るときは業者や関係者で法要をし、

木を労い安全を祈った。

途中でワイヤーが切れるというアクシデントがあったが

事故なく欅を倒すことができた。

しかし、製材会社の社長さんは

「木が嫌がっているんだ」と言った。

 

菅原瑞秋(すがわら・みずあき)

1958年生まれ。岩手県陸前高田市にある浄土寺の住職。以前は併設の幼稚園で園長も務めていたが、東日本大震災で寺は大規模半壊、園舎は跡形もなく流され現在休園中。奇跡的に家族の中には犠牲者が無かったが、愛犬一匹を失い、自身も避難所で3カ月、仮設住宅で3年間の生活を余儀なくされた。最大規模の被災地にある寺の住職として、犠牲者の魂や遺族たちの心を支え続けている。現在は妻と震災後にやってきたフレンチブルドッグのハナちゃんと生活。3人の子どもたちは成人し、それぞれ東京などで暮らしている。

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