⑯ワタシとイギリスと宿命と

東日本大震災が起きるまでは、福島県との県境に近い宮城県丸森町の里山で、家を手作りし、自給自足に近い生活を送っていた5人家族。原発事故の一報を受け、夫の母国、イギリスへ渡ることを決断。着の身着のまま日本を脱出したあの時から今日までを妻であり母である、チエミが振り返ります

ワタシとイギリスと宿命と

まるで、磁石が急回転したかのように

日本極をはじき出され、

イギリス極に引き付けられるように

飛んできたのはもう7年前。

それまではイギリスで暮らすなんて

全く考えたことがありませんでした。

 夫、ギャビンさんは

1998年から日本に住むようになりました。

 

大学を卒業してすぐに

バックパックひとつでイギリスを出て、

アフリカとアジアを中心に

40数か国を旅していた時に、

ちょっと立ち寄るつもりで

中国からフェリーで到着、

ヒッチハイクで九州から東京に

数週間かけて移動して、

そのまま東京に住みついてしまったのです。

 当時のイギリス政権に

憤りと不満だらけだったギャビン青年は、

母国を出ることを10代前半には

決めていたといいます。

ギャビンさんのお母さんが

1枚の写真を見せてくれたことがありました。

大きな世界地図を広げて

見入っているギャビンさん、当時3歳。

このころから外国に行くことが

無意識下にあったのかもしれません。

 港町、石巻の漁港のすぐ前で育った私は、

インドネシアやバングラディッシュなどから

やってくる漁船を見て育ちました。

大きな外国船が入ると、

数週間、実家の近くの宿泊所に滞在する

外国人漁師さんたちに、

よく遊んでもらったものでした。

私の実家は鉄工所なので、

外国船の乗り組み員たちが

船の部品などを買いに頻繁に出入りしていました。

 

子供の私は、

見慣れない外国の食べ物をもらっては

わくわくしながら、

遠くの国に思いを馳せて大きくなりました。

 すこしでも外の国の世界に触れたいと思い、

大学は英文科に入りましたが、

イギリス文学にはどうしても

興味が湧きませんでした。

文学としてはとても優れたものだと思いますが、

あの、ぶ厚いベルベットの布を

まとったような暗く湿った感じが、

どうも私の性には合いませんでした。

クラスメイトはみんな

イギリスやヨーロッパに恋している人たちばかり。

ピーターラビットの研究者になった

同級生もいました。

卒業旅行はほとんどの友人が

イギリスをはじめとするヨーロッパに行っていましたが、

私はどうしてもそこに加わることが出来ず、

ひとりで東南アジアをぶらりと旅し、

イギリスの植民地だったアジアの国々に、

どのように英語が浸透していったかについて

無理やり卒業論文を書き、

なんとかイギリス文学と

さよならすることが出来ました。

「外国のことを勉強したい」

と思って入った英文科でしたが、

私が好きな外国はインドネシアやタイのような、

太陽がぎらぎらと照り付け、

あちこちの屋台から

湯気が上がっているような

東南アジアの国々だということを再確認しました。

 

 私が28歳でギャビンさんと出会った時は、

「大学でイギリスとやっとお別れしたのに、

またイギリスと近くなった」と、

内心くすっと笑ってしまいました。

でも、たくさんの国を一人で旅し、

東京でも家を持たずに

寝袋とバックパックひとつで

何年も暮らしていたギャビンさんは、

完全に無国籍人でした。

 そう、私もギャビンさんも

「イギリスから遠ざかりたい」という

大きな共通点を持っていたのです。

しかし今、子供3人と共に

イギリスで暮らしているという不思議。

これを運命や宿命と呼ぶならば、

それは本当に思いもよらない

タイミングで発動するものです。

そんな私とギャビンさんのことを

昔から知っている友人の一人が、

「2人ともイギリスを選ばなかったのに、

イギリスに選ばれたんだね」

と言ってくれたことがありました。

確かに、運命や宿命は「選ぶもの」ではなく

「選ばれるもの」なのかもしれません。

「運命愛」を論じたニーチェは、

「我が運命を愛しなさい」と説いたといいます。

 

ここイギリスでは、

私にとっての重要幸福要素である

「太陽と美味しい食べ物」は

どちらも期待できないし、

趣のある建物はとても美しいのですが、

やはり私の性には合いません。

でも、イギリスに選ばれた自分の人生は

愛せそうな気がしてきました。

世界を旅していた当時のギャビンさん。ケニア、タンザニア、中国にて

【オールライト千栄美】:1972年石巻市生まれ。イギリス人の夫と長女(16歳)、長男(15歳)、次男(12歳)の5人家族。再生可能な環境開発を専門とする夫と共に、“都会とは全く違う環境で行う、ビジネスマン向けリトリート施設の建設”という構想を抱き、2008年、宮城県と福島県の境にある小さな山里に移住。その構想の第一歩として、“西洋と東洋の伝統に自然を融合させた新しい技術”をコンセプトにした家づくりを2011年3月11日午後2時45分(つまり、東日本大震災勃発の瞬間)まで家族で行う。その後、夫の母国イギリスへ。現在は、オンラインで日本に英語レッスンをお届けする【英語職人】を生業とする。https://chiemiallwright.wixsite.com/online-eikaiwa

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