㉕容疑者の人生

大手新聞のベテラン記者が、世の中の出来事や自らの仕事、人生について語ります。私生活では高校生の長男と中学生の長女を持つ父。「よあけ前のねごと」と思って読んでみてください(筆者談)

容疑者の人生

 強制わいせつ容疑で

男性アイドルタレントが

書類送検されました(その後、起訴猶予)。

ふつうは容疑者と呼ぶのですが、

マスコミの多くはメンバーという

肩書きを用いました。

有り体に言えば、逮捕されていないし、

被害者との和解が成立しているし、

容疑者はキツイんじゃないの-というのが理由。

一般的には「容疑者=犯罪者」

イメージが強いですからね。

一度容疑者になると人生は大きくねじ曲がり、

たとえ捜査が間違っていたとしても

元の生活に戻ることは容易ではありません。

 容疑者とは、

あくまでも犯罪に手を染めたとの

「疑い」を持たれている者。

裁判で判決が確定するまで

推定無罪の状態にあります。

つまりは「容疑者≠犯罪者」であるのです。

しかし、かつて新聞には

容疑者との呼称表記はなく、

逮捕されれば呼び捨てでした。

昔の紙面を見ると、

逮捕された時点で

ほぼ犯罪者として扱われています。

現在の新聞でも

同じような印象をもたれるかもしれません。

しかし、そこはかなり気を遣っていて

「○○署によると、容疑を否認しているという」など、

容疑者の主張を添えます。

容疑者と犯罪者の間に細いながらも

一線を引いているのです。

とはいえ、逮捕後に検察に送られ、

起訴されれば被告になり、

かなりのパーセンテージで

有罪となるのが現実です。

結果的に「容疑者=犯罪者」であることが多い。

 

けれど、間違いもある。

容疑者となり犯罪者とされたのち、

およそ半世紀を費やして間違いを正し、

人生を取り戻した人を取材したことがあります。

1946年、香川県榎井村(現琴平町)で

拳銃を使った殺人事件で主犯格とされた吉田さんが、

裁判のやり直し(再審)で

94年に無罪を勝ち取った「榎井村事件」。

94年、高松支局で司法を担当していた私は、

吉田さんに会い、

その人生をたどりました。

吉田さんは事件発生当時、

未成年でしたが相当なワルだったそうです。

そのため間もなく警察に引っ張られます。

逮捕後、一貫して容疑を否認していました。

いくらワルでも人殺しはしない、と。

しかし、共犯とされた友人が

「吉田が自白したぞ」と

嘘の誘導尋問を受けて自白。

吉田さんの「やっとらんもんは、やっとらん」

という訴えは届かず

「人殺し」として有罪判決を言い渡されました。

 

一審は死刑、控訴審で懲役15年。

吉田さんは上告しますが棄却され、

控訴審判決が確定。

吉田さんによると、

刑務所では反抗的な態度をみせると

「裸で逆さづりにされた」ことも

あったそうです。

サンフランシスコ講和条約の恩赦で

55年に出所した吉田さんは、

当時の刑事や弁護士を訪ね歩き

一人で証拠集めを始めます。

そして嘘の自白をさせられた友人を捜し当て

再審請求への協力を求めました。

友人は一審で懲役6年の刑を受け服役した後は、

四国からは遠く離れた場所に移り、

事件のことはだれにも言わず、

ようやく静かな余生に

さしかかろうとしていました。

警察にだまされたとはいえ、

吉田さんを裏切ってしまったことを詫びましたが、

「自分の生活を守りたい。

だから裁判所で証言することなどできない」と

涙ながらに訴えます。

吉田さんもつらいところですが説得。

その後、吉田さんを支援する弁護士会が

友人から話を聞くことで

再審請求審に臨むことになりました。

90年のことです。

再審が認められたのは93年11月、

再審で無罪を勝ち取ったのは

94年3月でした。

残された資料をみると、

当時の捜査はずさん極まりないものでした。

いい加減な警察官、検察官、

それを見破れず

追認した裁判官たちのせいで

吉田さんの人生は狂わされたということです。

新聞もそんな当局の言い分を

垂れ流していました。

半世紀にわたって

冤罪に苦しめられた吉田さんでしたが、

私の目に映ったのは、

そんなことを感じさせない明るさとバイタリティー、

やんちゃな表情を持つ人でした。

愛媛県の古びたアパートで

犬と暮らしていた吉田さんと

差し向かいで座り

「無罪になったら、何かやりたいことはありますか」

と聞くと「ゴミ処理の熱を使ってな、

ワニ園をするんじゃ。こらぁ儲かるど」と。

笑わそうと思ったのか本気なのか。

冤罪をはらした翌朝、

吉田さんは親の墓前に報告しました。

手を合わせる吉田さんを見ながら私が思ったのは

「この人の人生は何のためにあったのか」。

吉田さんは97年に亡くなりました。

69歳でした。

 

今回、罪を認めたものの

起訴を免れた男性アイドルは40代。

女癖の悪い酒好きなど珍しくもありませんが、

本当に罪を犯していたのですから、

残りの人生の大部分は

当然ながら険しいものになりそうです。

容疑者をメンバーと言い換えたところで

変わりはありません。

粂 博之(くめ・ひろゆき)

1968年生まれ、大阪府出身。関西学院大学経済学部卒。平成4年、産経新聞社に入社。高松支局を振り出しに神戸総局、東京経済部、大阪経済部デスクなどを経て2017年10月から単身赴任で三重県の津支局長に。妻と高校生の長男、中学生の長女がいる。

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