⑬精神科の門をたたく

普通の主婦が突然のうつ病発症!「心の風邪」という言葉が世に出始めた頃でした。約10年の闘病生活から抜け、今年になって自ら一錠の薬も飲まなくなった筆者。この連載は、一度は壊れてしまった主婦が自分だけでなく家族の笑顔も取り戻すための奮闘記です。

精神科の門をたたく

10年前の自分について思い返していると、

当時はすでに病的な

ネガティブ思考だったことがよくわかります。

まず、夫に対しては

何の期待もなくなっていたばかりか、

自分ひとりで全てを解決しなくてはならないと、

勝手に思い込んでいたこと。

相手を遮断して「家庭内母子家庭」を確立させていたのは、

他でもない自分自身でした。

離婚してはいけない。

離婚はできない。

仮に離婚できても子供たちの親権は

とれないに決まっている。

それならこのまま自分が

がんばっていくしかない。

我慢するしかない。

このような思考の堂々巡りが

何年にも渡って続いていたのです。

3人の子供を出産した37歳頃には、

離婚したい気持ちになっていました。

私は自分を偽って「いい嫁」「夫につくす妻」を

一生懸命演じていました。

常にストレスを抱えていた私は、

夫の会社の女性事務員と

ネガティブな愚痴を言い合うしか、

思いを吐き出す方法がありませんでした。

夫とは夫婦であり、上司と部下でもあって、

不平不満を吐き出せば吐き出すほど、

実際は自分の家族を悪く言う言葉を自分が聞くのです。

心が平穏でいられるはずがありません。

自分が悲劇のヒロインにでもなったようでした。

免疫力は低下し、風邪薬を常用していました。

常に体調がよくないのです。

心のどこかで

「病気になったら仕事をやめられるかもしれない」

と考えていたので、

体調が悪くても放置していました。

また、当時を振り返ると、

夫の報酬は生活費にはなっておらず、

私の給与が生活費でした。

現代の離婚原因のひとつに

「生活費を渡されない」ということがあるそうで、

私たち家族は実際はそれに当てはまっています。

お金の使い方も含めて、

夫婦だろうが親子だろうが、

同じ会社で仕事をするならば、

もっとお互いがお互いを大事に考え、

思いやりを持っていかなくてはいけなかった。

当時の私は、

自分を見失う程に疲れ切っていました。

夜になかなか寝付くことができず、

台所の床に座ってボーっとして

眠くなるのを待ったり、

食欲もなかったように記憶しています。

このまま病気になったら、

仕事を長期でお休みさせてもらえるのかなぁ、

などと考えたこともありました。

現状から逃げたい気持ちになっていたのです。

「病は気から」といわれるように、

既に病気になる予感がありました。

病気になっても仕事をやめることが出来ないとは

夢にも思っていませんでした。

まだその時点では

「死んでいなくなろう」とは思いませんでした。

そんなある日、

次男の習い事先でレクリエーションがありました。

会費をあつめて海水浴に行きました。

人間関係に疲れてお迎えに行く時でさえ、

車の中で過ごしていたほどなのに、

大勢のお子さんたちやご父兄の中で、

焼きそばを焼いたり、機材を運んだり、

働いて、気を使って、

へとへとになった日曜日でした。

普段の送迎は私にまかせっきりなのに、

そういうときには夫も参加します。

お父さんたちは海辺でビール片手に

交流を図って楽しそうでした。

つまり、帰りの運転も私の仕事、

片付けや子供たちのことも、

相変わらず私の仕事でした。

子供たちの夏休みの思い出作りだと思って、

がんばりました。

翌日の月曜日、

子どもたちにお昼ご飯をたべさせようと

事務所から自宅にもどり、

また事務所に向かうところまでは

いつもどおりでした。

事務所の手前で道路からウインカーを出して

駐車場に入ろうとしたその時、

急に鈍器のようなもので頭をなぐられたような

ドーン!という痛みがおそったのです。

ウインカーを出したまま、

道路に車を停めて、

運転席で頭を抱えました。

すると今度は

地震にでも襲われたようにめまいがして、

ハンドルに頭をのせてエンジンをとめ、

おさまるまで待っていました。

真夏でしたので、

エアコンを止めると車の中はとても暑く、

全身から嫌な汗がじっとりとでました。

「自分自身がただ事ではない」と

とっさに思って、

上司である夫に電話をしました。

「昨日の疲れが残っているのだろうか」

とも思いましたが、

私にはなんとなくわかっていたのです。

自分の精神状態が普通ではないことが。

ですから、誰にも相談せずに、

翌日の午前中に

精神科の門をたたいたのでした。

自分の心は自分が一番わかっていたので、

うつ病か他の精神病か、

確認してもらいたかったのもあります。

精神の病をわずらうというと、

当時は「黄色い救急車が迎えにくる」と

後ろ指をさされたり、

石巻では、ちょっとおかしな言動があると

「〇〇病院の鍵がかかる病室に

閉じ込められたらなおるのではないの」と

言われたりしていました。

心の病が今ほどおおっぴらに言えなかった時代です。

そして、その「精神病は恥ずかしい病気」という

「世間体」が立ちはだかって、

私はその後も大変な思いをすることになりました。

(つづく)

【Seiko】    宮城県仙台市出身。高校卒業後は通信関係の会社に就職。23歳で最初の夫と「成田離婚」を経験し、30歳で二度目の結婚を機に退職。石巻市に移り住み、3人の子供をもうけるが、2006年頃から心の病を発症。「うつ病」と診断され、約10年間の闘病生活を余儀なくされる。今年になって自ら一錠の薬も飲まずに生活。現在は懸命に社会復帰を目指している。

 

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