⑯ありがとう!一中仮設住宅

東日本大震災で被災し、避難所で3ヶ月、仮設住宅で3年間暮らしたお寺の和尚が、奇跡の一本松や巨大なベルトコンベアで全国に知られることとなった故郷、岩手県陸前高田市のことを書いていきます。フレンチブルドッグのハナさんは震災でかつての愛犬を亡くした和尚のために、妻と娘たちが連れてきてくれた新しい相棒です

ありがとう!一中仮設住宅

ありがとう!

先月のことだが、

我が街、陸前高田市で

第一中学校の校庭に作られた

「一中仮設住宅」というところで

お別れ会があった。

現在の入居者や仮設暮らしを卒業した人たち、

約150人が集まった。

廊下には思い出の写真がたくさん掲示されていた。

私もこの仮設住宅に3年間住んだ。

 

お別れ会の朝、

以前住んでいた部屋を見に行った。

6戸の横並びの部屋は全て空室であった。

そのとき改めて仮設住宅の配置図を見たら

「鳴石仮設団地」とあり、

「一中仮設」とは通称であることを初めて知った。

お別れ会会場にも

「第一中学校仮設住宅 お別れ会」とある。

 

平成23年4月に入居となり、

第1期は30戸ぐらいだったように記憶している。

陸前高田市内では

第一号に作られた仮設住宅とあって

いろいろな意味で話題になった。

中学校の敷地内には

仮設の病院も併設され、

他からも人がくる

中心的な応急仮設住宅であった。

そして、同じ中学校の体育館が

避難所になっていた。

早いか遅いかの違いはあれど

いずれは入居できるとわかっていても、

早期に入居できた人たちを

避難所に残らざるを得なかった人達は羨ましく思い、

仮設住宅の様子を

何度も見に行ったことを思い出す。

 

私たち家族も、

避難所の生活が続いていた。

ここが基準となり、

その後、2期、3期と

仮設住宅建設が進むことになる。

我々は2期で仮設住宅に入れた。

設備や部屋の造りが違うなど

不満が出たこともあった。

 

お別れ会で

自治会長をしていた方が挨拶され、

仮設暮らしの辛いことばかりが表に出たが、

楽しいことも多くあったと話していた。

「住めば都」、

まさにこの通りであった。

不安や不満もあったけれど

個人のプライバシーがない避難所で

生活していた人もいたのだから。

懇親の部では

陸前高田によく来てくださった

女優の大場久美子さんから届いた

ビデオメッセージや

彼女が名付け親となった

「BAPPA(バッパ)ダンサーズ」の素晴らしい踊り、

飛び入りでタレントさんも参加し

賑やかにお別れをした。

数台のTVカメラや新聞社も取材に来ていた。

自治会長さんも3つ、

思い出を話していたので

それに習い私も3つだけに絞り、

思い出を。

 

1つは平成25年7月5日天気小雨。

天皇皇后両陛下の被災地お見舞いで、

「一中仮設住宅」ご訪問である。

一生お目にかかることも

ないだろうと思っていたが、

手が届く距離で、しかも会話ができた。

おかえりの時、

みんなは陛下の乗った車に手を振ったり

写真を撮ったりしていたが

私はありがたく、ありがたく、

ずーっと頭を深く下げ

礼をしたままお見送りをした事を思い出す。

 

2つ目は、

お寺関係や友人知人達の繋がりで

仮設住宅の集会場で

いろいろなイベントを開催できたことである。

著名な方にも来ていただいたので、

みんなから感謝されたこともあった。

中でも楽しかったのは、

料理教室と祇園から来てくれた

舞妓さんの訪問。

まさか陸前高田の仮設住宅で

舞妓さんの踊りや接待を

受けることができようとは!

 

そして3つ目は、

全く個人的な事ではあるが、

毎月18日頃に集会場に来る

整体チームへの感謝だ。

リーダーは横浜から来ている先生で、

当時の私は50肩で

左腕が上がらなかった。

時が来れば治るのはわかっていたが、

4年も続き、うんざりしていた。

治療というより相談のつもりで行ったが、

「涙が出るくらい痛いけど治りますよ」

「本当に痛いけどどうします?」

と、決断を迫られた。

10分程悩んで実行すると決断!

メリメリ!(本当に音がした)という音とともに

大粒の涙。

癒着しているところが

剥がれたらしい。

痛がる私を見て

周りの人たちは笑っていたが、

本当に痛かった。

1週間くらい痛かったが

その後肩が上がるようになった。

 

しかし、右腕ほどは上がらない。

翌月も彼らが来ると聞いたので行ってみた。

先生は覚えていてくれて、

笑いながら「どうですか?」と聞くので

よくなりました、

でも右ほどではないと言うと、

またやれば?という。

よいことは体験済みであるが、

あの痛みは二度と味わいたくはない……、

しかし、楽になるのであれば

痛みは一時的なものなのだから!と

決断し、施術。

痛〜い!!!!

小粒の涙。

 

先生曰く

二度やったのはあなたが初めてと。

体の硬さは別にして、両肩は動いている。

 

体の硬さには自信があるので

前屈は床に手など着くはずもなく、

気功の先生が来た時に行ってみた。

疑いながらも施術開始。

なんと施術後、

手のひらが床にペタッと着いた。

驚きであった。

いろんな事があって

お世話になった仮設住宅も

もうじき解体される。

式で陸前高田市民歌を歌った時には、

ポロポロ涙がこぼれ落ちた。

そして、その日、

オリンピックでは

大好きだったカーリング女子も銅メダル。

また涙。

いい一日であった。

見よ!このバッパダンサーズの素晴らしい踊り!

1958年生まれ。岩手県陸前高田市にある浄土寺の住職。以前は併設の幼稚園で園長も務めていたが、東日本大震災で寺は大規模半壊、園舎は跡形もなく流され現在休園中。奇跡的に家族の中には犠牲者が無かったが、愛犬一匹を失い、自身も避難所で3カ月、仮設住宅で3年間の生活を余儀なくされた。最大規模の被災地にある寺の住職として、犠牲者の魂や遺族たちの心を支え続けている。現在は妻と震災後にやってきたフレンチブルドッグのハナちゃんと生活。3人の子どもたちは成人し、それぞれ東京などで暮らしている。

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