⑧二度目の結婚

普通の主婦が突然のうつ病発症!「心の風邪」という言葉が世に出始めた頃でした。約10年の闘病生活から抜け、今年になって自ら一錠の薬も飲まなくなった筆者。この連載は、一度は壊れてしまった主婦が自分だけでなく家族の笑顔も取り戻すための奮闘記です。

二度目の結婚

二十代最後の年まで、

自分のやりたいスポーツや旅行を楽しみ、

自分のためだけに

お金を使う生活をしていました。

会社で幹部候補生の

養成コースを修了したものの、

社内で結婚し、

成田離婚を経験したことで、

もう仕事に対する意気込みは

なくなっていました。

なんとなく仕事をして、

福利厚生を十二分に活用して

今を楽しむ生き方をしていました。

その頃夢中になっていた

トライアスロン競技で知り合あった、

あるご夫婦がいました。

自営で電気店を経営しているそのご夫婦は、

宮古島のトライアスロンに

お二人で出場したり、

息子さんも一緒に出場するなど、

ご家族でトライアスロンを

楽しんでいらっしゃいました。

時代はバブルの真っ最中。

ご夫婦の姿から当時の私には、

「自営業=自由業」と

勝手に勘違いしてしまいました。

 

自分も自営業の人と結婚したい。

そう思い込んだのには、

もう一つ理由があります。

同じ会社内で働く男性社員に

魅力を感じられなくなっていたからです。

実際に「トライアスロン競技をする女」は、

彼らにとって「かわいい女」ではありませんし、

まわりにいる男性社員が、

私のことを遠巻きに見ているように

思っていました。

もちろん彼らは、

私の成田離婚のことも知っています。

ですから、

よその世界の男性と結婚して、

思い切ってこの会社と

縁を切ろうという思いでおりました。

そんな時に、

母親からお見合い話が来ました。

そして「○○さんはもう結婚しているのに、

あんたはいつ結婚する気なの?」と

結婚することが前提の話をしてきます。

そして母の口癖は、

「私のように早く結婚して子供を産んでおけば、

40代で自由が手に入る。

結婚が遅いと子育てに苦労するよ」

というものでした。

私はこう反論しました。

「20代を謳歌して30歳で結婚すれば、

もう悔いはないから子育てに専念できる。

自分の自由がなくても

不満は言わないからいいの」

のちにこの考え方が

自分で自分の首を

絞めていたことに気づきます。

人生とは偶然の積み重ね、

という言葉もあるように、

ちょうど求めているときに

「自営業の男性」に出会うと、

勝手に「運命」と思ってしまいました。

今更なのですが、

自分の考えの浅はかさに

呆れて言葉が出ません。

相手の会社はどんな業種で、

どんな仕事をしているのか?

実際の売り上げはどのくらいで、

年収はどれくらいか?

打算で結婚したのではない

という事だけは確かなのですが、

私は何も知らないままでした。

本当に話し合うべきことを何も話し合わず、

おつきあいが始まりました。

29歳の3月に出会って、

8月には石巻の川開き(夏祭り)の花火を見に来て、

彼のご家族にお会いしました。

そうして30歳の誕生日を一緒に過ごし、

年末には結婚の約束をし、

今度は彼が私の両親に挨拶にきました。

私の両親は、最初の結婚時のように、

もう私の仕事を続けさせろとは

言いませんでした。

両親も夫になる人の仕事など

全く調べることなく、

私が連れてきた相手だからと、

受け入れてくれました。

30歳までには結婚するという約束を果たして、

その相手を連れていけた私は、

「ほら、言った通りにできたでしょ」と

多少自慢げだったかもしれません。

今にして思えば、

私はこの時点で

既に一度目の時と

同じ失敗をしていたのです。

相手の仕事の詳細など聞くこともなく、

自分が手伝う必要があるのか?

主婦として家庭を守るだけでいいのかなど、

なにも話し合わずに

結婚を決めてしまっていました。

そのあとにやってくるたくさんの試練は

全くわからなかったのですから、

脳天気にもほどがあります。

【Seiko】    宮城県仙台市出身。高校卒業後は通信関係の会社に就職。23歳で最初の夫と「成田離婚」を経験し、30歳で二度目の結婚を機に退職。石巻市に移り住み、3人の子供をもうけるが、2006年頃から心の病を発症。「うつ病」と診断され、約10年間の闘病生活を余儀なくされる。今年になって自ら一錠の薬も飲まずに生活。現在は懸命に社会復帰を目指している。

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