⑤「ちゃんと」育てたい母

普通の主婦が突然のうつ病発症!「心の風邪」という言葉が世に出始めた頃でした。約10年の闘病生活から抜け、今年になって自ら一錠の薬も飲まなくなった筆者。この連載は、一度は壊れてしまった主婦が自分だけでなく家族の笑顔も取り戻すための奮闘記です。

「ちゃんと」育てたい母

私の母は、

農家の6人兄弟の4番目。

男、女、女、女、男、男の順番で、

彼女は三人目の娘でした。

すぐ上の姉(私の叔母)とは二歳違いですが、

いつも比較されて育ったようで、

母はその姉が看護学校に入学したから、

自分は東京の親戚の家に奉公に出されたのだと話していました。

本当は母も看護師になりたかったよう。

ですが、一家に二人も看護師はいらないと

祖母にいわれたそうです。

東京の親戚の家が洋裁を生業にしていたので、

母のその後は、

洋裁の仕事と共に歩く人生となりました。

叔母と母は結婚した時期もほぼ一緒でした。

子どもも娘が2人。

学年も同じでした。

ですから、私たちいとこ同士もよく比べられました。

親戚が集まると

叔母が根ほり葉ほり聞いてきて、

「うちの子は…」と自分の娘と比べます。

私はその叔母のことも、

本当に苦手でした。

最初は成績や運動会のかけっこの順位など、

ささいな事でしたが、

小学校高学年になると、

初潮の話になりました。

「うちの子はもう生理がきたけれど、お宅はどう?」

ライバルの姉にそう問われて、

母が心静かでいられるはずがありません。

私を婦人科につれて行き、

体に異常がないかを調べたのです。

肛門から触診されたあの感覚と

医者に「特に異常はありません」と言われた時の

母親の安堵の表情を

今でも忘れることができません。

母は、娘をちゃんと育てようと必死だったのかもしれません。

でも、「ちゃんと」って何でしょう。

あの子よりも頭がよくて、

あの子よりもいい学校に行き、

あの子よりも早く結婚させて……。

それが、母の考えた「ちゃんと」だったのかもしれません。

既に70代後半。

お互いの伴侶に先立たれた今、

母と叔母はやっと仲良く

温泉などに出かけるようになりました。

現代のように子に与える影響を考えながら、

子育てすることを学ぶ機会がなかった母親たち。

不幸ではあるけれど、

ある意味、幸せな気もします。

【Seiko】    宮城県仙台市出身。高校卒業後は通信関係の会社に就職。23歳で最初の夫と「成田離婚」を経験し、30歳で二度目の結婚を機に退職。石巻市に移り住み、3人の子供をもうけるが、2006年頃から心の病を発症。「うつ病」と診断され、約10年間の闘病生活を余儀なくされる。今年になって自ら一錠の薬も飲まずに生活。現在は懸命に社会復帰を目指している。

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