③母が嫌いになった幼少期

普通の主婦が突然のうつ病発症!「心の風邪」という言葉が世に出始めた頃でした。約10年の闘病生活から抜け、今年になって自ら一錠の薬も飲まなくなった筆者。この連載は、一度は壊れてしまった主婦が自分だけでなく家族の笑顔も取り戻すための奮闘記です。

母が嫌いになった幼少期

私が生まれたのは、

高度経済成長と言われる時代のまっただ中で、

父方の祖母にとっては、初孫でした。

祖母は、女手一つで男の子四人を育てた苦労人。

三番目に娘がいたのですが、

幼いころに病気で亡くしたのです。

そして、次男である私の父が7歳の時に、

夫も病気で亡くしました。

終戦前のことです。

それで私の父と母が結婚後は、

この父方の祖母と同居となりました。

家は3部屋しかない平屋で、

母にとってはお姑さんと同居の新婚生活。

今の時代なら、考えられないかもしれません。

一方、孫娘の私は、

実の娘の生まれ変わりのように、

祖母にとても可愛がってもらいました。

3、4歳になるころには既に、

私は母親と祖母は仲が悪い、

と気づいていました。

きっかけは、ある日の夕食時、

おかずの数で二人が口論になりました。

とんかつだったか、唐揚げだったか…

とにかくお肉のおかずについてでした。

祖母は「子供でも大人と同じ数をわけてあげないといけない」と主張。

母親は「子供はどうせ食べられないから、少なくていい」と主張。

両者、譲りませんでした。

私のことで喧嘩してるの?

めずらしく声を荒げている2人を見て、

私は泣いてしまったのです。

こんなに年月が経過しても

鮮明に覚えているのですから、

よっぽど子供心にショックだったのですね。

私が23歳で成田離婚に至った際、

「お姑さんと仲良くすることが結婚の条件」と思っていたのは、

あの喧嘩を境に、

母が祖母に口答えをするようになったからです。

私には、三つ歳が離れた妹がいます。

幼少期、妹は母が面倒をみていて、

私は祖母にべったりくっついていた。

だから、私にはあまり母や妹の記憶がありません。

そして私が5歳になった時、

父が転勤になり、

私たち家族は核家族となりました。

その時、母が言った言葉を今でも覚えています。

「おばあちゃんの家を出たいから、

お父さんに転勤願いを出させたんだよ。

うまくいってよかったよね」

私は大好きな祖母と離ればなれになるのが、

嫌で嫌でしょうがなかったのに、

母は喜んでいる。

こうして私は、

母をどんどん嫌いになっていくのでした。

(つづく)

【Seiko】    宮城県仙台市出身。高校卒業後は通信関係の会社に就職。23歳で最初の夫と「成田離婚」を経験し、30歳で二度目の結婚を機に退職。石巻市に移り住み、3人の子供をもうけるが、2006年頃から心の病を発症。「うつ病」と診断され、約10年間の闘病生活を余儀なくされる。今年になって自ら一錠の薬も飲まずに生活。現在は懸命に社会復帰を目指している。

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