②親と離れるためのケッコン

普通の主婦が突然のうつ病発症!「心の風邪」という言葉が世に出始めた頃でした。約10年の闘病生活から抜け、今年になって自ら一錠の薬も飲まなくなった筆者。この連載は、一度は壊れてしまった主婦が自分だけでなく家族の笑顔も取り戻すための奮闘記です。

親と離れるためのケッコン

私は子どものころから実母との母娘関係がよくなくて、

一刻も早く実家を出たいと23歳の時、

初めておつきあいした職場の同期生との結婚を決めました。

夫になる人のお母さんは、

実母より20歳も年上で、

とても可愛がっていただきました。

 

しかし、当人同士はボタンの掛け違いのような感じでした。

夫になる人は一人っ子で、「高齢のご両親に早く孫をみせてあげたい」結婚。

私は「親もとを出る」ための結婚でした。

本当に将来を見据えて一緒に暮らしていく話など、

彼とふたりではほとんどしなかったように思います。

挙式披露宴をし、新婚旅行にもいきましたが、

1日も同居しないまま、3カ月後に籍を抜きました。

こうして私は、当時「成田離婚」と呼ばれた経験をしたのです。

 

実母は、「出戻って来る家はない」といいました。

私は行き場がなくなって、

同じ宮城県でも実家がある仙台とは離れた岩沼という所にある

祖母の家に居候させてもらいました。

その結果、心労から激やせし、当時務めていた会社の厚意で、

借り上げアパートの女子寮に住まわせて頂きました。

7年間の一人暮らしでは、

会社の上司をはじめ、多くの方に助けて頂きました。

しかし、30歳を目前に、実母がまた急に動き出しました。

結婚しない女性は世間体が悪い、と言って、

お見合い話をもってこようとしたのです。

子供の心を考えるより、

自分の世間体が大事な母親。

親戚から「まだ結婚させないの?」と言われ、

○○はもう子供が産まれた」という他人との比較に縛られて生きている。

今なら「何を馬鹿なことを言っているの」と反抗できます。

しかし私は、

30歳になったら結婚するから、お見合いはしない」と言って、

母にお見合いを断り続けていました。

世間体を気にする親に振り回されて、

お見合いをさせられるなんて嫌だ。

自分で結婚相手を決めればいい。

今にして思えば、自分で相手を決めても、

親の言う通り、30歳までに結婚しようとした事実は否めません。

バブル期も崩壊寸前の頃でしたが、

結婚するなら自営業かお医者さん、と何故か職業で決めていました。

一度、職場の同期生と成田離婚を経験していた為か

サラリーマンとの結婚に夢は持てませんでした。

こうして、次に出会った自営業を営む男性に

勝手に「運命」を感じてしまった訳です。

 

心配性という名の「ネガティブ思考」の塊だった母は、

私に公務員と結婚して欲しかったようです。

だから夫とはあまり合わず、

結婚後は実家に帰ることもありませんでした。

私は自分の親に対して、

少しの弱音を話すこともなく、

一度戸籍を汚したと散々言われ続けたので、

今度こそ、なにがあっても「離婚しない」と

固く決意してしまいました。

 

書きながら今、気づいた事があります。

結婚する前の私は、

夫になる人がどういった関係の仕事に携わっているのか、

自分は「奥さん業」をしているだけでいいのか?

全く知ろうとせずに結婚してしまいました。

これでは、労働条件を確認しないで

就職を決めたのと同じこと。

しかも、もう離婚はできない。

どんなに大変な思いをしても、

ブラック企業だったとしても、

自分から離職はしないと決めたようなものでした。

結婚を「永久就職」と呼んだ時代のお話ですが、

誰かと一緒に人生を歩くって、

本当に大変な事業なのかもしれません。

【Seiko】    宮城県仙台市出身。高校卒業後は通信関係の会社に就職。23歳で最初の夫と「成田離婚」を経験し、30歳で二度目の結婚を機に退職。石巻市に移り住み、3人の子供をもうけるが、2006年頃から心の病を発症。「うつ病」と診断され、約10年間の闘病生活を余儀なくされる。今年になって自ら一錠の薬も飲まずに生活。現在は懸命に社会復帰を目指している。

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