①これで死ぬなら、寿命なんだな

東京でフリーライターをしていたアラフォー独身女子。東日本大震災を機に東北へ通い始め、2015年にはついに単身、宮城県石巻市へ移住。現在は庭付き中古一軒家を購入し、会社も設立。愛猫のふーちゃんとふたりで大海原へ漕ぎだした、そんなドキドキハラハラな毎日を記していきます 

40歳

自分の年齢が大台に乗る、という瞬間には、

多くの人がなにかしら、思うのではないでしょうか。

もっと大人の方から見れば40歳なんてまだまだ青いのでしょうけれど、

日本人の平均寿命は、ざっくり80歳。

40歳とは、れっきとした折り返し地点というわけです。

 

私の40歳は今から7年前。

東京でフリーのライター、編集者として働いていました。

知らない人にはなんだかカッコいい感じがするかもしれませんが、

周りは子育てや親の介護で苦労もしながら

明らかに人生のフェーズを変えている(ように見える)のに、

自分は何も積み重ねていない。

自分のためだけに働いて消費する、

薄っぺらな人生を歩んでいるという劣等感がありました。

 

それでも命は有限で。

昨日よりも今日、今日よりも明日という風に、

刻一刻と終わりに近づいているのはさすがにわかります。

でもとりあえず、40歳まではヨシとしよう!

後半の人生で、挽回すればいいんだから……。

そして、ついに迎えた40歳の年。

 東日本大震災が起きました。

これで死ぬなら寿命なんだな

東京でも、あの日は立派に揺れました。

自宅は池袋から2駅の「千川」という場所にあり、

私はいつものように椅子に座ってパソコンに向かっていたところ、

フローリングにつけた足の裏に、小さな振動を感じました。

エ?と思った瞬間、ものすごい勢いでせり上げてき、

ドン!と地面を突き破るようにして一気にエネルギーが放出されたのです。

立ち上がろうとしても足元がおぼつかず、

私はフライパンで炒られる豆粒のごとく、

ただ振り回されるばかりでした。

しかもその揺れは本当に長くて。

もちろん体験した方はご存知だと思いますが、

私的にどれくらい長かったかというと、

①突然の揺れにひとり、大パニック

②這いつくばって必死にベッドへ移動

③マットレスの上で頭を抱え「本当に死ぬかも!」と最期の瞬間を予感

④「死にたくない!神様、助けて!」と思わず叫ぶ

⑤自分で自分の声に驚き、一気に心がクールダウン。

「そうか。もし死ぬなら、それは神様が決めた私の寿命なんだ」と

なぜか、いきなり納得。

ここまでダイナミックな精神の変遷を

揺れの間に体験したのですから、それはそれは長かったのであります。

 

そしてあの時、なぜかストン、と心に落ちてきたひとつの真実。

「もし死ぬなら、神様が決めた寿命なんだな」

これがのちに、私の人生の舵を大きく切り直させる起点となりました。

                         (続きます)

現在は、宮城県石巻市で生活。今年6月に購入した庭付き中古一軒家で、愛猫ふーちゃんとのふたり暮らしです♥その模様はおいおい、この連載で

塩坂佳子(しおさか・よしこ)

1970 年生まれ、大阪府高槻市出身。関西学院大学文学部卒業後はアルバイトなどを経験し、25歳でフリーランスのライター兼編集者として開業。2000年に大阪を出て、友人が住む小笠原諸島父島へ。釣り船の手伝いなどをして島暮らしを満喫、その様子を雑誌に連載するなどして2年間の長期滞在を楽しんだ。その後、板橋区へ移住し、東京でのライター・編集業を本格始動。主な仕事は結婚情報誌「ゼクシィ」や「婦人公論」などで執筆。出版社との契約で中国上海市に1年間駐在、現地編集部の立ち上げと雑誌創刊などにも関わった。

東日本大震災後は、震災ボランティアとして宮城県を中心に訪問。2013年には、上海在住のイラストレーター・ワタナベマキコと共に、東北の名産品をユニークなキャラクターにした東北応援プロジェクト「東北☆家族」を立ち上げ。東京に住まいながら活動を続け、2015年秋に宮城県石巻市へ移住。2年間は主に石巻市産業復興支援員として、復興や地方再生を促す街の情報発信を担当した。2017年9月には自分の会社を設立。現在は、自宅兼オフィスとして購入した築50年の庭付き中古一軒家をDIYでリノベーションしながら、愛猫・ふーちゃんと共に新生活をスタートさせたばかり。

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